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心理で追われる事態

2020年3月、僕たち人類は経験したことのない事態に直面しております。鳥インフルエンザとか、エボラ出血熱とか、AIDSとか、SARSとか、記憶の中にある感染系の病気は、どこか対岸の火事で、ニュースではたくさん見たけれど、ここまで世界が同時に侵されてしまったことはなかったと思います。

同時・・多発・・と言えば

2001年9月11日に米国で起こった同時多発テロが記憶に新しいです。あの時の衝撃的な映像は、忘れようにも忘れられないです。飛行機が突っ込み、熱さのために人が耐えられずに飛び降りて、次の飛行機も突っ込み、ワールドトレードセンターは、あっという間に崩れ落ちてしまいました。

今回の新型コロナに関しても憶測が憶測を呼び、まさかとは思うものの、人為的に作られたウイルスなのでは?という意見も多数あります。真偽はわからないですし、どこの誰がと犯人捜しをしても無駄でしょう。

でも・・もしこれが本当に仕組まれたものだとしたら、あまりにも大掛かりですし、ウイルスや細菌という見えないものに立ち向かうことがいかに困難であるかが思い切り浮き彫りになりました。

そして、人為的でなく、自然発生的に出現したウイルスだとして、こんなにも一気にパンデミックになってしまい、人々の心理をとことん追い詰めるのですから、やはり「自然」というものは、この世で最も脅威です。

心理面で対応に追われてしまうこの感覚

目に見えないものに対しての恐怖というのは、やはり攻められないので、防御一辺倒になります。

人間に元々備わっている防御、防衛の本能は、自らを守り、家族を守り、大切な人を守り、周りの人たちを守り、とにかく脅威がなくなるまで守り続けるしかないということを寝ても覚めても思うわけです。

メディアにおける情報伝達が昔よりも早い分、ほとんどの人に時間差もほぼない状態で、洪水のように情報が与えられます。

それがゆえに、心理的にいつも追われているような状態が続き、買い占めとか、ちょっと咳をしただけで袋叩きにされたりとか、そんなことが発生するのでしょうね。

でも・・本当にマジで事態がもっと深刻になったら

「生きる」ために、なりふり構っていられない事態になれば、それまで悠長に構えていた人とか、そういう買い占めとかに批判的だった人も動かざるを得ないですよね。

「生きる」ということは、人間の持っている原始的欲求に基づいているのですから、武士のように「食わねど高楊枝」などと言ってられません。

そんなとんでもない事態になる前に、収束してほしいと願うばかりです。

世界のリーダーたちは何だかんだ言って頑張っていると思う

批判って誰でも出来ることだと思います。

批判するだけなら誰でも出来るってことです。

国が何かを決定するためには、独裁ではないのですから、色々な意見調整とかお金の問題の解決、及び解決の方法など、たくさんのことに対して根回しが必要だと思うのです。

「ここがダメだ!」「あれがダメだ!」と言うのは簡単ですが、取り仕切って決断、指示、実行をする側としては、賛否がうごめく中で下さなくてはいけないので、ものすごく大変でしょう。

だんだんと現実味を帯びてきた由々しき事態に

僕たちはどのようにして立ち向かうべきなのか!?ということを一人一人が考えて、出来ることを皆でやっていくべきだと思います。

もし、首都閉鎖になったら?

もし、感染爆発になったら?

この「もし」にしても先が不透明なことがとても多く、見えない相手を敵にしているだけに、余計に大変です。

そして命もそうですが、産業とか人の生活そのものとか、問題の飛び火が広大すぎますよね。

だからこそ心理で追われる事態になっているのだと思います。

想像がつかないから・・・。

だんだんとネットで見るニュースも怖くなってくる

yahoo でのトップニュースとか、もう最近は、見るたびにちょっと現実的にまずいんじゃない?と思えるようになってきました。

どちらかというと僕自身、完全にプラス思考型ではあるのですが、毎日、毎日、感染した人の数とか、お亡くなりになった方の数が日本で・・・ではなく、世界で・・という形で伝えられると完全に地球規模なわけですから、不安をあおられてしまいます。

かと言って、メディアは今の事態を正確に伝えていく使命感を持って報道していますので、僕たちの知る権利を十分すぎるぐらい満たしてくれているので、もうやめてくれとも言えません。

現実に目を向けるべき・・わかってはいますけれど、ニュースのリロードを夜中に起きてやってしまう自分がおります。

絶対負けるな!そう願うと同時に違う頭では、どうしよう・・・そんな風に考えてしまう・・・。

この一か月の突然の事態がもし解決したら、世界がもっと一つになれるような気がします。