大昔の遥か大昔
そう・・・歴史の教科書とか、漫画などを読んでいると、とんでもない遠い過去に思いを馳せることがあります。
特に縄文時代とか弥生時代など、およそ想像の世界でしかなく、発掘された遺跡から復元された当時の暮らしの様子などを描いてみると、本当に過去にさかのぼることが出来るタイムマシンがあったらいいなぁなどと夢見心地となります。
マンモスの肉って美味いのかなぁ?とか、当時の水はどんな味なのだろう?とか、弥生の土器で作った飯を食ってみたいなぁ・・・などなど。
そして、古の日本に住んでいた人たちの言葉はどんな感じだったのだろう?
こんな風に考えていくと、その時代時代に生きていく人たちの宿命とは言え、まさに今は平和な時代ですのでありがたさが増します。
以前は歴史ものとか、時代小説にはまっていたいた時期があり、司馬遼太郎・山岡荘八・吉川英治などは、かじりまくりました。 池波正太郎 や 藤沢周平 などもですね。
特に山岡荘八の織田信長は、とても印象に残っています。
読んで頂いたことがある方は相当多いと思いますが、とても面白く時間を忘れさせてくれて、あたかもその場に居合わせるかのような臨場感を読者に与えてくれます。
中でも僕が印象深くずっと心に残っているのが、「湯漬け」です。
桶狭間の出陣前のシーンだったと思います。信長が立ったまま湯漬けをすすって、息子の奇妙丸たちに「湯漬けは立ったまま食った方がたくさん食えるぞ。覚えておけ!」と
言う例のくだりです。
以来、僕はこの時代の湯漬けが食ってみたいと思うようになりました。どこかの店で安土桃山時代定食なんていうのが売ってたら面白いですね。
さて、この湯漬けなのですが、果たして何でしょうか?感覚としては、永谷園のお茶漬けをイメージするものですから、ごはんにお湯とか何かをかけて、ぶっこむ!そんな感じですかね。
調べてみたら、ごはんにお湯をかけるだけみたいでした。茶漬けが流通したのは江戸時代中期らしく、ふむ・・・じゃぁ、本当にお湯だけなのなのでしょう。wikiなどで調べなければよかったと後悔です。
今から100年前は1920年(大正9年)です。
僕が小さいころに、母方の実家に行くと、襖で仕切られた部屋がいくつかありました。その中の一つに、ふるーい写真が何枚か額縁に入れられて飾られていたのを思い出します。100年前は大正時代ですよ。大正デモクラシー、大正浪漫の時代です。ハイカラなイメージも少し出てきたあの時代です。モノトーンで残っている写真、セピア色の写真のあの世界です。
クレヨンの発売が大正10年、一粒で二度おいしいのグリコのキャラメルの発売が大正11年です。
今でも色褪せず、現代までずっと残っているものもありますが、いつのまにか新しいものに置き換えられてしまっている商品やサービスがたくさんありますよね。
価値あるもの!すごいもの!として絶対的ブームを巻き起こしたようなモノであっても、これはとんでもない画期的な技術だ!サービスだ!とその瞬間の時代を断然勝ち組として凌駕しても不思議なもので永遠にはなかなかならないものです。
そういう観点で言うと、クレヨンやグリコのキャラメルが今も生き残っているというのは、とんでもなくすごいことですね!
現代は、価値の進化が凄すぎて、イノベーションが凄すぎて、そうですね・・・一か月も油断してニュースを追わなければかなり時代変化においていかれることになります。
けっこう僕は、あたらしもの好きではありますが、やはり今の子供たちが夢中になったり、高校生の間でブームになっているものなどは、だんだんと追いつけなくなってきました。
少し昔になりますが、パソコン通信ってありましたよね。ニフティーサーブとかPC-VANです。シャープとかNEC、富士通がパソコンの世界で一歩先行ってた時代です。
16歳か17歳のときに初めてパーソナルコンピュータというものに出会いました。その当時、シャープのX1という機種があったのです。テレビも見られるパソコンです。プログラムのロード方法は、なんとカセットテープですよ。当時の取り扱い説明書には、簡単なBASICプラグラムのコードが書かれていて、それをパソコンに打ち込んでは、ちゃんとプログラムが走ったときには、「おおおお!」と感動しました。
書かれているまま打ち込んだのですから、当たり前のことですよね。でもそんな小さなことでも感動したのです。
そのうち、カセットテープにゲームプログラムが書かれたものをロードしてゲームが出来るということを知りました。当時はハドソンっていうゲームソフトの会社がありましたね。ゲームタイトルは忘れましたが、ロードが終わるまでにドエライ時間がかかったのですが、ワクワクしながら待っていた記憶があります。
画面が切り替わり、ゲームの音が流れて、キーボード操作にキャラクターが反応したときにも「すげー」と思いました。その感動から何度もお見せに通っては、違うゲームを探しては楽しんでいました。
時代が少し過ぎて、今度は記憶媒体にフロッピーディスクというものが登場しました。僕が使い始めたのは、顔よりデカいフロッピー時代じゃなくて、少しコンパクトになってからのものです。
そして1980年代後半から1990年代、インターネット時代が本格始動します。そこで出会ったのが、パソコン通信だったわけです。
こ、これは・・・はまりましたね。 NIFTY-Serve の終了が2006年でしたので、たぶん2000年とか、2001年とか、そのぐらいにパソコン通信を覚えて、ジジジ、ジジジジーと動くプリンターも当時買ったのです。ドットプリンターっていうのは、 印刷ヘッドに並べたピンをインクリボンに叩きつけて用紙に印刷する方式のプリンターです。プリントしているときには、プリンターの台がなんだか、左右に揺れ動くぐらいの豪快なプリンターです。
パソコン通信でチャットした内容なんかを用もないのにプリントアウトしたりして、すごく楽しかった思い出です。
世の中は利便性追求をずっと永遠に求めていくでしょうから、そのときの最先端はすぐに時代の動きの速さにとってかわられ、新しい商品がどんどん出てくるわけです。
でもどうでしょう。
人間誰でも、自分が10代とか20代のときのめちゃくちゃ輝いていた時代が懐かしく感じませんか。こちらの記事を読んでくださった方がいたら、もしかして同世代?って思ってくれる方もなかにはいるかもしれません。
そうそう、その時代です。
価値は移り変わるものではありますが、当時の価値も生きてきた証として、ときには懐かしむ、そんな心のゆとりも欲しいものですね。
もしかしたら、当時僕がまだ10代の頃の使っていた部屋が実家に残っているかもしれません。中にはお宝があるかも!?なんて考えたりします。