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闘争心は自らのモティベーションを上げる

振り返れば、10代、20代、30代・・・と荒っぽくて、粗削りな時代がありました。僕にとっては古き良き時代だったわけですが、あのころの尖がってた自分はどこに行ったのでしょうか。

くだらないことでも「負けねぇ!」と妙に闘争心が先に立ち、勝手に燃え上がっていた時期でもあります。

尖りすぎていたフシもありますが、そのほうがいいかも

「まるくなったね」(性格がですよ)

そんな風に言われて、「そうかい?」と答えるのですが、それは暗に「弱くなったね」と隠語交じりで言われているが如くです。

確かに昔は尖りすぎていたこともあって、無茶苦茶やっていましたので、恐れ知らずで、後先考えず、「やっちまえ!」的な感覚の毎日で、今から思うと、空恐ろしい限りの連続で、はぁ・・・よく今まで命があったなと考えることがあります。

どこかに警戒信号があると、直感で察知できる

「ん、これはこれ以上やるとヤバイ」というような直感で感じ取る警戒信号が自然と頭の中で、警報を鳴らすんですよね。

昔からですが、何となく「危ない予感」がするのです。

でもそういう予感すら全く感じないぐらい、ぐわーーーっとなってしまって、猪突猛進してしまうことも多々あり、それでも「本当にギリギリのヤバイ直前」ぐらいでうまくブレーキが作動するんですよ。

なんだろう・・自分で言うのもなんですが、天性のものかなぁと思ったりしております。

まるくなった自分はまた尖りたい

人生一回しかありませんからね。よく他人に言うのですが、人生が2回も3回もあって、自分でその2回目、3回目の人生を意識出来ればいいけれど、それは不可能だろうと。

つまり人が生まれて死ぬまでの間を「人生」と呼ぶなら、やっぱり「一生一回」なんですよ。

これをじっとりを考え始めると、おかしなループに入って抜けきれなくなるので、あまり深く考えるのはやめにしておきましょう。

つまりは、一回しかない人生を幸せに過ごしたいという欲求があるわけです。そりゃ、不幸のどん底を味わうよりはいいですよね。

また尖がりたい!

勢いがあったほうが、失敗も怖くない

石橋を叩いて渡る、、、という言葉がありますが、そもそも石橋どころか、下手したら朽ちた木の橋もろくに調べもしないで、「ええい、ママよ!」と一気にわたって、やばい、あと1mのところで、崩れるかも!というときに最後のジャンプを決めて、向こう岸についちゃえばこっちのもん、そのような覇気をもって、勢いづいて歩んでいきたいです。

ビジネスの本とかネットを見ると、すごい人たちがけっこういる

僕も小さい小さい会社を経営しているわけですが、世界中を見ると、とんでもない苦労をしつつ、大器晩成ですっごいビジネスを成しえた人がたくさんいます。

運もあったかもしれませんが、たいていは

行動力があったのでしょう。

考えて、構想を練って、計画を立てて、夢を描き・・・そういう人ってものすごくたくさんいると思うのです。

でも実際に行動に移す人、うつせる人はさほど多くないでしょう。

だから大切なのは、思考力より「行動力」だと思っています。

考えても行動に移さなければ、何も考えていないのと同義ですよね。

そうは言っても心の部分が最初にありき

なんですよね~。

自らの行動の源泉は心に制御される、これは否定できません。思考より行動と行ったのは、何でもアクションに起こさなければ何もならんでしょという意味です。

さて、心の部分ですが、やっぱり「なにくそ!」というような強い気持ちが勝っていると、落ち込んだときにも回復が早いですよね。

そして「あきらめなければ失敗はない」この言葉好きなんですよ。

「おお、確かに」と思えるのですが、自分で自分の気持ちをコントロールできるいい言葉です。

源は、闘争心にあるのではないでしょうか。

「なにくそ」という気持ちとか、「まけらんねえ」というのは、心の奥底からフツフツと沸いてくる、いわゆる心の爆発です。

そのときに、力がわいてくるじゃないですか。だから闘争心は失いたくありません。

闘争心を持ち続けることは、自分のモティベーションを維持するのに最高に役立っているということです。

なにくそ!負けらんね~!!

叫んでみてください。

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