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昔を思い出すとき、限られた記憶の中にある父を思い出す

昔を懐かしみ、記憶を呼び起こすと、父親と一緒に写ってる写真がぼんやりと思い出されるのです。

帽子を真横にかぶり、おどけた顔をした僕を父が後ろから大きな手で抱きしめてくれている写真です。

父は出張が多かったので、一緒に遊んだ記憶がほとんどありません。

だから悲しいことに動いている父を思い出すことが出来ないのです。

写真の中の一瞬を切り取った世界の中に、父と僕が一緒に写っている写真には、笑顔の父とおどけた僕が写っている。間違いなくそういうシーンがあって、きっと母が撮影してくれたのでしょう。

そのとき、どんな会話をして、どんなシチュエーションでそんな写真を撮ることになったのかも思い出せません。

単に一つのシーン、一瞬だけがそこに残っているのです。

小さいころ、父はとても大きく感じられて、どっしりとした印象でした。やたら手が大きく、ゴツかったです。髪の毛はオールバックで、いつも整髪料の匂いがしていました。スーツやズボンも大きくて、靴もかなり大きくて、なんだかすべてが大きかったのです。

おしゃべりで明るい母とは違い、寡黙でした。

ご飯を食べるときには、一粒残さず食べて「ごっつぉさん」と言ってました。なんだか昔の武士みたいです。

父には日曜日などあったのだろうか・・・。家でゴロゴロしているのを見たこともないですし、とにかく仕事しかしてなかったような気がします。

怒ったときには、かなり恐ろしかったです。普段寡黙な分、爆発するとヤバイ人でした。

そんな父は、今、認知症になってしまいました。

コンビニに車を突っ込ませる事故も起こし、免許を返納しました。

たまに妹が父の様子を教えてくれます。薬で症状は緩和されているものの、きっと治る見込みはないのだと思います。

背が高くて、いつも仕事三昧だった父の面影は写真の中にしかありません。

いつの間にか僕も年を取り、いつのまにか父も年を取り、そしていつの間にか、認知症になっていたのです。

もっと父と遊びたかったなと悲しい気持ちになります。思い出がみつからない。思い出が見えない。記憶を探してもほんのわずかしか出てこない。

当時はビデオカメラもありませんでしたから、動いている父が思い出せない。

全部がまるで石になる魔法でカチンと固められた感じです。写真の中の笑顔もカチンとです。

思い出はお金では買えまえせん。

だから僕は、子供たちとの思い出をたくさん作ろうと決めていました。

その通り思い出づくりはしたつもりですが、子は3人とも男子で、やはり中学ぐらいからは親と一緒に行動はしなくなるのですね。

僕も父と同じように、寡黙な存在になっています。

父の姿を見てきたからなのかもしれません。多くを語らずですね。

そのかわり、妻がとても明るく子供たちと接してくれているので、「これでいいのだ」と一人合点しております。

もしかしたら、実家に8ミリ映写機がありましたので、昔の記録が残っているかもしれません。でもたぶん、壊れてしまって動かないでしょうね。

8ミリ映写機は、音声って出ないですよね。

カタカタカタカタと静かな音を立ててる映像でもいいので、是非見たいです。

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