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6月、梅雨の晴れ間

昨日まで雨がちだったのですが、今日は「初夏」ですね。柴犬の「いち君」の皮膚のためにも太陽を少し浴びさせたほうがよかろうという気持ちもあります。

近場で買い物を済ませるために

きょうは、妙典です。

船橋方面に行くよりも確実に道がすいているんです。

一本の木
一本の木

↑ これ、粋な計らいですよね。
ここに来るといつもそう思います。1本だから、目立たせることが出来る。

そしてこの空模様、なんとなく夏っぽくていいですね!

ここで今日は「いち君」と一緒に散歩しました。少しだけ、勾配があるの、わかりますか。

この勾配を上がるのにも、いち君は「ぜいぜい・・・ぜいぜい」という風な感じでした。とてもゆっくり歩いて・・。

抱っこしてやろうかなって思ったのですが、なるべく自分の足で歩かせないとと思い、ゆっくり歩行に合わせて、途中何度も立ち止まって歩きました。

その一歩一歩頑張る姿を見ながら、いろんな思いが押し寄せてきました。

歩く背中を見つめながら、涙が出てきたので視界もぼやけました。

アジサイが咲いていた

あじさい
あじさい

公園の丘を登れなかったので、周りを歩くことにしました。ゆっくり、ゆっくり歩くと、普段であれば素通りしてしまうような景色でも美しく、クローズアップされるものです。

あじさい・・

しばし、あじさいのところで、立ち止まりました。

いち君は、何やらクンクンと匂いを嗅いでいます。

梅雨の晴れ間の何気ない日常、本当に普通の、何もない日常です。普通のひとから見たら、なんてことないありふれた日常です。

公園で走っている人、キャッチボールをする人、サッカーボールをけり合う少年たち、ラジコン自動車を走らせる子供・・・この人たちが、どこのだれかも知りません。

でも、こんな普通で、ありきたりの日常の1シーンで、なぜ、こんなにも込み上げるものがあるのでしょうか。

きっと、それは過去への思いがあるから

なのでしょうね。

前にもこの場所は何度か来たことがあります。

それはいつだったかわからないけれど・・・。

やはりそのときも柴犬の「いち君」とは一緒だったはずです。その時と「いち君」がここで、どんな風に歩いたかを覚えているからです。

そこにある木、一本の大きな木は変わらないけれど。

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