生きてれば、何十回、何百回と選択の場面があります。それは商品の選択という小さな局面もあるけれど、究極の選択場面もあります。「もし、あのときAではなくBを選んでいたら・・」こんな風に考えてしまうこともありますよね。
選ぶことが出来ない本当の究極場面に出くわしたらどうする?
以前、映画だったか、ドラマだったか、小説だったか、ちょっと忘れてしまったのですが、主人公の男性が、溺れかかった妻か子供のどちらかを選ばなくていけない究極の場面に遭遇するシーンがありました。とてもショッキングです。
自分だったら?とか、考えることすらも恐ろしいです。
選ぶことなど出来ないですよ。
どちらかを選び、仮にうまくいったとしてもずっと生きている間、後悔に苛まれて、自分を責めていくとになりそうです。
幸い、今のところ、そんなド究極なことは経験がありませんが、今後ないとは言い切れません。
皆さんは、どうですか?
後悔が重くのしかかる。時間を戻してほしい!
「やらない後悔より やって後悔したほうがいい」
この言葉は、ずっと前に勤務していた会社の社長が言っていたことで、以来、その意味を考えつつ、「うん、確かに!」と思うようになり、いつしか座右の銘の一つとなりました。
「あのとき やってればよかった・・・」(やらなかった後悔)
「あのとき やらなければよかった・・・」(やった後悔)
これもまぁ、シチュエーションによっては、どっちも重い後悔なのですが、個人的にはやっぱり「やらなかった後悔」はけっこう長く尾を引いてる感じがします。
「まったくやらなくて後悔」
「やりすぎて後悔」
言葉を微妙に変化させると、やりすぎちゃって(あちゃ~)というのは、比較的立ち直りが早かったです。
でも・・・まったくやらなくて後悔したことは、やはりずっと残っています。
時間を戻すことが出来ませんが、それでも時間を戻してほしい!と無理なお願いを神様にしちゃいます。
同時に「一生一回じゃん」と考えると、やらない後悔だけはしたくないと強く思える
一生一回
人の一生って、一回しかないわけで、二回、三回あればいいけれど、どうあっても無理そうなので、やっぱり一回しかない人生なのだから「やらない後悔より やって後悔したほうがいい」となるわけです。
この世に生まれて、物心つき、少年時代、青年時代、壮年時代と過ぎていけば、自分がおじいちゃんになった残りの人生ってことを想像してしまいます。
あまり、この話題を深く考えると、今度は、この世から自分の存在が消え失せて「無」になることの怖さまで考え込んでしまって、形容しがたい寂しさに襲われるので、
やっぱり人生100年時代だぜ!ぐらいの気構えでいたほうがよさそうです。ぽじてぃぶしんきんぐ!
人間の寿命が長いスパンでみると伸びているので、いずれは人生120年とかになるんですかね?
そうは言ってもよぼよぼ状態では、元気にビジネスも出来ないかもしれないし、プライベートの楽しみも失せてるかもしれないし、
やっぱりアクティブに自分の身体が動いて、考えもめぐるうちが華なのでしょう。
ここでまた一生一回と考えると、やはり自分がアクティブに動けるうちに「ハッピーだね!」という楽しみがほしいですよね!
そうなれるよう、可能性を信じて進んでいきましょう。