最初に夏目漱石を知ったのは、高校生のときです。「三四郎」という作品を読みました。そのまま漱石フリークになったわけではなく、もっとずっと遅くに改めて三四郎を読んで、他の作品を読んでみたくなったという経緯です。
今持っている文庫本は、二冊目
大昔に一冊目の「吾輩は猫である」を買って読んだのですが、本の綴じ方が悪かったのか、僕の扱いが悪かったのか、ページがあちこち剥がれ落ちてしまったので、二冊目を買いました。
もう5回読みました。6回目に突入中です。
机に座って読書ではなく、寝転がりながらの読書が多い僕は、読んで眠くなると、そのまま寝てしまいます。
たいてい本は読み終わると、積み重ねて置いておくか、本棚に収めるのですが、「吾輩は猫である」だけは、もうボロボロになってきたのですが、それでも枕元に置いてあります。
すでに表紙は、ボロボロすぎてなくなりました。
きっと一生僕の枕元に置かれる本です。
どんな時に読むのか
漱石の本は、全部持っていますが、「吾輩は猫である」だけは、何回でも読みたくなるのです。
特に・・・気持ちが落ち込んだときとか、物事がうまく好転しないときに読みます。
理由は、単純に落ち込んだ気持ちを薄れさせてくれるからです。
読書って、リラクゼーション効果は抜群なのですが、基本的に、ある程度、心が平常心じゃないと「読もう!」という気持ちになれないのです。平常心で読んでこそのリラクゼーション効果ですので、ノリがイマイチのときには、読む本の選択を間違えると、えらいことになります。
一日の終わり、ベッドに就くと、手元が照らせるLEDの電灯を点けて、布団にもぐりながらの読書タイムが始まります。
時には2、3行読んだだけで、そのまま寝てしまうこともありますし、日曜日に昼寝とか夕寝した後などは、調子よく500ページ以上の小説も読破してしまうこともあります。
考え事が深い事案の場合や、何かとダメージを受けた場合には、心が求める小説がサスペンスであったり、ホラーであることはまずないです。
選択肢はただ一つ。
「吾輩は猫である」だけです。
個性豊かな登場人物
ご存じのように、「吾輩」というのは主人公の 苦沙弥先生の家に飼われることになった猫です。
隣近所の猫たちも登場し、彼らの猫関係も面白いのですが、なんといっても 苦沙弥先生を取り巻く登場人物がどこか落語を思わせ、言葉の掛け合いが非常に笑わせてくれます。
特に、 迷亭 、 寒月 、 東風 と言ったどちらかとうと 苦沙弥先生寄りの人たちが、家に集まって会話する様子が最高です。
中でも 迷亭は、ホラを吹いて相手を担ぐのが趣味の人で、お調子ものですが、憎めないキャラです。
特に印象深いのが、苦沙弥先生の奥さんに、万能グッズの説明をするときや、帽子の紹介をするとき、さらには、蕎麦をすする様子など、こんな人が友達だったらさぞ楽しいだろうなぁと思わせます。
寒月がバイオリンを買う話を延々とするくだりも非常に面白く、思わず吹いてしまう場面もあります。
日常生活の滑稽な出来事をただ書き綴っているだけではない
「吾輩は猫である」は、漱石の最初の作品です。僕は個人的に一番好きな作品ですが、たいていのランキングを見ると、その後書かれた、「こころ」とか「坊ちゃん」、「草枕」あたりに人気が集まっているようです。
(※まぁ、全部名作なのですけどね)
日常生活の滑稽な出来事を落語的に書き綴っているだけ、、ではなく、さらりと読める部分と、けっこう難解な言葉がたくさん登場しますので、その都度、小説の後ろに付属されている用語説明を見ないとわからないものもあります。
漢文や、イギリス文学などの素養もありながら、その知識が鼻にかかっているわけではなく、実にセンスよくユーモアたっぷりに書かれているため、なるほど庶民的だとうなづけるのです。国民的作家であり文豪と言われるのがよくわかります。
登場する主人公の苦沙弥先生は、英語の先生で、胃弱で少々苦しんでいる様子など、やはり漱石自身がモデルなんだろうなと思います。
ですから、漱石が生きていた時代の様子なんていうのも垣間見ることが出来るのです。
空想して、さらに楽しむ
明治の文豪、夏目漱石が生きた時代。僕たちは歴史の教科書から、明治・大正時代にどんなことがあったのかも知ることが出来ます。
でももっと興味があるのは、明治の人たちが生きたリアルな日常生活です。歴史に登場するのは、大きな事件や政治的なこと、制度の変革の様子、戦争やその後どうなったのかということです。
もちろんこれらの大きな出来事がすべての背景にはなっているのですが、生きている時代の中心人物は常に「自分」です。たくさんの人たちは、生きている今の時代の「自分」を取り巻く環境の変化を感じ取りつつ、普通に日常の生活を暮らしているわけです。
人生80年、90年、100年とは言っても、よほど数奇な星の下に生まれない限りは、ほとんどの人たちには、普通の出来事が続く毎日の中で、ちょっとしたプチ事件があったり、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいことがあるのです。
そう、明治の文豪と言われた漱石でさえも普通の人と同じような日常があったのです。
奥さんと2人の息子がいて(「吾輩は猫であるの中では3人の娘)、小説の中で描かれている日常が、漱石とリンクするほどに、微笑ましいですし、僕たち庶民に安心感を与えてくれます。
小説を読みながらその時代を空想することで、楽しみが何倍にも増えます。
そういう小説なのが「吾輩は猫である」なのです。
本が好きになるきっかけをくれた
決して大げさでもなんでもなく、事実、漱石の小説があったからこそ、僕は本が好きになりました。
読書が趣味ですと堂々と言えるようになったのも漱石のおかげです。
漱石から発展して、太宰治だとか、森鴎外、志賀直哉、三島由紀夫、川端康成、谷崎潤一郎、島崎藤村など、興味を持ち、それぞれの作家の作風を楽しみながら、読んできました。
きっとたくさんの人が、好きな作家、好きな本との運命的な出会いから、文学に目覚めるのでしょうね。
読書が好きになって、文章を書くことが好きになったわけですから、若干の武器となるようなスキルを与えたくれた恩人でもあります。
これからもずっと読み継がれる
夏目漱石が亡くなって104年です。それでも夏になれば新潮文庫の100冊とかで必ず登場する漱石の本。(こころや坊ちゃん)
本屋さんでいつまでも平積みされる本なんて、そうそうあるものではないでしょう。
いつか紙の本はなくなってしまうかもしれませんが、やはり本のページをひとつずつめくりながら読みたいものです。