セキセイインコのポッポちゃんは、物凄く慣れました。オスなのでよくしゃべりました。思えば、小さい頃から今に至るまでで、自分で言葉を教えて、しゃべるようになったのは初めての経験だったのです。
鳥は、セラピーバードになれると思う
犬や猫も癒しをくれますが、鳥も同様に癒しを与えてくれる存在です。朝は、「早くケージから出してくれ~」と言ってるようですし、餌もねだります。一緒に遊んでほしそうにすることもあります。
手の上に乗ったり、頭に乗ったり、肩に乗ったりと、人間とのコミュニケーションを楽しんでるようでもあります。
「ポッポちゃん、こんにちは!」というと
「ポポチャンコンニチハ」と返してくれるのは、本当に楽しいものでした。
癒しを与えてくれる存在として、鳥はとても魅力的です。
部屋で放鳥すると、グルリーと飛び回るものの、すぐに僕の傍に来ます。こちらの画像は、掃除機のノズルの上に降り立ったポッポちゃんです。
「掃除できないからどいて」と言っても、はい、当然どきません。
仕方ないので、またまたコミュニケーション。
「ポッポちゃん、かわいいね!」
そんな風に、仕事が休みの日はなるべく一緒に遊ぶようにしていました。
こんな小さな身体なのに、感情表現がとても豊かです。
最初、セキセイインコの魅力があまりわかりませんでした。顔もなんというか、さほど愛着を感じるような顔でもなく、小さい頃から見慣れてしまったせいか、ふつう~な感じで、いつでも見られる小鳥だからでしょうね。
でもいざ飼い始めると、セキセイインコの魅力にはまりましたね。個人的には、「オス」が楽しいと思います。もちろん、もし、ポッポちゃんが「メス」だったとしてもかわいがったでしょう。飼い始めたら、オスとかメスとか抜きにして、飼い主はとても愛情深くペットと接するものですよね。
ポッポちゃんは、この場所がとても好きでした。
窓のところにカーテンレールがありますよね。そこに、ラジオ用のループアンテナを付けてあるのですが、そこからさらにこのように吊るして遊び場をつくったのです。
頭の上にある鈴がたまに邪魔なのでしょう。よく「鈴とケンカ」してましたね。
僕がパソコンに向かっていて、カタカタと一所懸命やっていると、ときおりキーボードの上に乗ってきて、歩き回り邪魔するのですが、「今、忙しいからあっちいってて」とやると、少し寂しそうにこの場所で見守ってくれていました。
チラッと見ると、ほんとにずっと待ってるので、さすがに僕も不憫になって、「ポッポちゃん、ちょっと遊ぼう」って手を差し出すと嬉しそうに飛んできてくれたものです。
ほんの一瞬の僕の不注意でした。
あれは、2018年9月23日の日曜日の朝のことでした。
いつものように、部屋にある鳥たちの水入れの水を交換して、餌を交換し、掃除機をかけていました。掃除機は大型のものではなく、ハンドタイプのものです。それなりに吸引力があり、手早く掃除するのに便利なのです。
僕はいつも自分の部屋に入るとき、ドアと締めるとき、椅子を動かすとき、歩くとき、などどこに鳥たちがいるかを目視してからやるようにしています。
この日の掃除のときにもそうでした・・・いや、そうだったはず・・・です。でもすみません、記憶が少し曖昧です。
掃除機をかけていて一歩後退したとき・・・・
「ピギャー」という絶対に今まで聞いたこともないようなポッポちゃんの声が聞こえました。しかも足元から・・・。
瞬間にわかりました。僕は右足でポッポちゃんを踏んでしまったのです。
それがどの程度の力を加えてしまったのかわかりません。でも間違いなく僕が踏んでしまった。
ポッポちゃんは、立てるはずなのに、立てずでパニックで動いていました。僕は自分の身体が思い切り震えるのがわかりました。同時に、「あああああああああああああああっぁぁああ」と大声で叫んでしまいました。
妻が入ってきました。
「わからなかった、どこにいたのか、わからなかった!踏んでしまった!」と訳がわからないぐらい、騒いでしまいました。身体の震えが止まりません。僕自身今まで経験したことがないぐらい気が動転してしまいました。苦しそうにしているポッポちゃんを今すぐに助けなくてはいけないと思っても何を優先して、どのようにしたらいいのか、わけがわからなくなって、平常心に戻ることが出来なくなってしまいました。
すぐさま、近くの動物病院に電話して、行きました。その間、どれぐらいの時間が経過したかわかりません。でもとにかくこの小さな命を助けなくてはならない、絶対に死なせてはいけない!という気持ちです。
お医者さんがいうには、足を骨折しているとのことでした。「うちでは、この子を助けてあげることができないので小動物を扱っているところを・・・」
説明を最後まで聞く気持ちになれませんでした。すぐさま、小さな小鳥でも診てくれる病院をネットで探して、祈るような気持ちで駆け付けました。
朝の時間帯、少し混んでいました。
気持ちはあせるのに、なかなか車が進まない。
早くポッポちゃんをお医者さんに診てもらわないといけないのに、進んでくれない。
すごく焦りました。でもポッポちゃんに声をかけながら、
「頼むから死なないでくれ!」と叫びながら僕は何とか正気を保っていた感じです。
自分が
自分が踏んでしまったのです。
いつもなら本当に注意深く視認してから一歩を踏み出すのに、そのときは、後退してしまいました。
そこにポッポちゃんは、僕という人間は害を及ぼさないと信じて歩いていたのです。
いつもなら僕の肩の上、頭の上、背中の上などにとまっているポッポちゃんが、下を掃除していたことで床に興味がいってしまったのです。そこを僕は踏んでしまった。
車を運転しながらもそのときの情景が、踏んだ瞬間のポッポちゃんの叫び声が、頭の中を何度も何度もめぐっていました。
僕を信じてくれていたポッポちゃんをこんな形で裏切ってしまった。
僕は本当に涙が止まらなくなりました。
あと3キロ・・・ナビゲーターの距離からするとあと3キロです。
あと2キロ・・
「もう少しだからね、ポッポちゃん!!!!」
あと1キロ・・・・・
「頑張ってくれ、ポッポちゃん、あと少しだから絶対死なないでくれよ・・!」
あと500メートルとところでした。
時間と距離との戦いだったので、「あと500メートル」このことが今でも頭から離れません。
あと500メートルのところで、ポッポちゃんは、最後に目をカッと見開いて、何かを叫び絶命しました。そのとき僕はポッポちゃんと目があったのです。
最後の最後に目があったのです。
病院に到着したときに、どう身体を揺さぶっても
ぐにゃりとして動きませんでした。
小さな命を僕が奪ってしまったのです。
溢れる涙を抑えることが出来ず、ずっと波が止まりませんでした。自分の中にある後悔がどこまでも押し寄せてきて、つい先ほどまでポッポちゃんは生きていたのにという思いと僕が命を奪ってしまったのだという思いと、手の中でうずくまるようにしているけれど、絶対にもう動かないのだという思いと、色々な思いが渦巻いてしまいました。
小さな黄色い身体は、生きていれば躍動的で一回りも二回りも大きく感じたこともありました。
でも死んでしまったあとのポッポちゃんは、小さくなってしまいました。
大切にしていたポッポちゃんを
僕自らの不注意で
亡くしてしまいました。
2018年9月のことです。
ポッポちゃんの声をもう聞くことが出来ません。