カテゴリー
オススメ

小さい頃から食べてたカップラーメンと袋麺

このインスタントラーメンを食べると・・・

この袋麺を食べると・・・

思い出すんだよよなぁ。

一番好きなカップラーメンは、カップスター醤油味!!

カップスター醤油味
カップスター醤油味

これですよ、これ!

今、販売されているカップラーメンはどんだけ種類があるのかわかりませんが、僕が最初に買い物かごに入れるのは、これです!

サッポロ一番カップスターしょうゆ味

これ、今は、周りの部分が紙にうねうねっぽい印刷ですが、昔は、本当に紙がうねうねした立体構造だったのですね。知ってる人は知っている!!

よく比べられるのが、カップスターとカップヌードルですね。上の画像を拝借するときにも、そんな比較的画像がありました。

どっちも美味しいけれど、僕はやっぱりカップスターです。

これ、昔のCMの歌も覚えていますよ。

♪カップスタアア~ァ~~ 食べたその日か~~ら~~

味のとり~~こに~~ と~りこに なりました♪

確かこんな歌でしょ。

銀河鉄道999の主人公 星野鉄郎がラーメン好きなんですよね。漫画でもラーメンを食べるシーンがあります。

「明日の星」っていう停車駅で、鉄郎は初めてラーメンの味を知るんですよね。

非常に有名なシーンです。

ラーメンを食べていると、なぜか銀河鉄道999を思い出します。

思い出す・・・と言えば・・・

サッポロ一番みそラーメンは、母を思い出します。

僕は宇都宮で育ちました。

家はまったくもって貧乏で、思えば食費にも苦労していたのでしょう。

サッポロ一番みそラーメンは、子供の頃よく食べました。

サッポロ一番みそラーメン(袋バージョン)
サッポロ一番みそラーメン(袋バージョン)

これですね。

箱に入ってるのもありますし、カップラーメンスタイルのものもありますが、やっぱり僕はこの袋麺の味が忘れられないし、今でも好んで買います。

袋麺なので、まずはお湯を沸かすのですが、通常のポットで沸かしたのではいけませんので、ちゃんと鍋で沸かします。したがって水の量が多い分だけ、出来上がるまでの時間を要します。

サッポロ一番みそラーメン、これはご家庭でつくるときには、たぶん具を入れるのが普通なのでしょうね。例えばもやしとか、チャーシューとか、ゆで卵を切ったやつとか。

でも僕はそういう具材の準備まで待てないので、まさに具なしで頂きます!!

食べると、ジワリと来ますね。

やはり母が何度となくこれを昼食とか夕食に出したのはお金があまりなかったからでしょう。

母がつくってくれたサッポロ一番みそラーメンには、具が入ってました。だから僕がつくるよりも豪華に見えたし、美味かったです。

僕が自分で作ると具なしですが、それでも味の本質は、サッポロ一番みそラーメンなので、味覚が過去を思い出させますよね。

ふわっと・・・

あのときの実家の台所の風景とか、フラッシュバックします。

そういえば、どちらもサッポロ一番なのですね。

ずっと昔からあって、今後もずっとあり続けるブランドですよね。

何十年も愛され続けるというのは、本当に素晴らしいことです。

カテゴリー
ペット

きみちゃんの「なんですかー?」と「おらおら!」

ルチノーのオカメインコのメス、きみちゃん。のんびりしてて、おっとりしてて、食いしん坊です!

きみちゃんは、とても表情豊かです。

「なんですかー?」と言ってるきみちゃん
「なんですかー?」と言ってるきみちゃん

いかにも「なんですかー?」って感じでしょ。

続いて、、、

「おらおら!
「おらおら!」って言ってるきみちゃん。@暗闇

きみちゃんは、たまに怒ります。

普段はおっとりした性格なのですが、少し暗闇で手を差し出すと、「ぬぁ!何者だ!クワッ!」

そんな風になって、シャーシャーいいます。

「おらおら!」って言ってるようでもあります。

でも全然怖くありません。噛まれることもありますが、ものすごい甘噛みです。ぜんっぜん痛くないですし、まるで撫でられたかのようです。

うん、きみちゃんが強く噛んできたことは、そういえば一度もないですね。

元々とても優しい子なのでしょう。

鳥なのに、床を歩きます。身体がちょっと重いので、運動のために放鳥させますが、バサバサバサ!とひとっ飛びしたあとは、たいていは毛づくろいしています。

もうちょっと運動させないとですね。

カテゴリー
ペット

ペットは人間を信じている

一か月以上に渡る負のニュースの連鎖。いや、きっと今後もっと長い期間、新型コロナのニュースが止まない状態が続くのでしょう。

最近は、ネットのニュースを上から下まで、足早に追いかけることが多くなりました。何を探しているのか、何を求めているのか、何を期待しているのか、何を不安がっているのか・・・

心があまり落ち着かない状態においては、活字を追ってもあまり頭にインプットはされていないようです。ただただニュースを追い、evernoteに記録していくような毎日です。

それがあまりにも「ついこの間まであった日常」とかけ離れているため、本当はインパクトのあるニュースでも反応がイマイチ弱くなってきているように感じます。(僕自身の)

つまりは、麻痺し始めているのでしょう。

こんなに尋常じゃない状態に世界が置かれているのに、どこか遠くを見るような目で物事を見てしまっているのかもしれません。

世界の人に、日本の人に勇気を与えてくれるような発信が見たいですね。一刻も早く。

世界が混沌とした状態でもペットは、ふれあいを待っていて、人間を信じている

どんなに思考が止まりそうでも、どんなに辛くてもペットたちは、人間から餌をもらえるものと信じていますし、コミュニケーションやふれあいを待っています。

ペットたちも生きています。

だから、人間が手を加えてあげることを放棄したらすぐに衰弱してしまいます。

僕の手の中で安心しきって寝てしまうちーちゃんの様子を見ていると、こちらの心も癒されるのですが、実はちーちゃんも癒しを少しは感じてくれているのかなと思います。

そう、共存しているのですよね。

動物たちとは無条件にこんなに共存出来ているのに、人間同士はなかなか厳しいやり取りが続いているようです。

前向きで元気が出るような、強く生きていこうと思えるようなメッセージが欲しいです。

毎日のように繰り返される、誰が悪い、かれが悪いの言い合いみたいなものをずっと見ている国民は、きっと違うアナウンスメントを待っているように感じませんか。

どうしても偉い人達、有名な人たち、メディア受けする人たちがyahooのトップ記事に名前と発言を連ねます。

でもそのほとんどが誰かの悪口のようになっています。

僕らは今こそ、希望がほしい。

そんな風に思っちゃうんですよね。

確かに100年に一度あるかないかの事態なので、誰もが混乱しますが、現代、そして医療技術も情報伝搬も100年前の技術ではない今、もっと世界が一つになれる何かがあって、今こそ人類が一枚岩となってこの難局を乗り越えられたらと願います。

僕自身も正直苦しいです。

誰かに聞いてもらいたいぐらい苦しいです。

信じてくれているペットたちとも心から「毎日が楽しいね」と、本当に心から触れ合えるような日常に戻ってほしいです。

今日 この記事を見て、しみじみをいろんなことを思いました。

中でも

「みんなで食べると美味しいな」

このくだりです。

みんなで食べると美味しいな、なんと素晴らしい言葉でしょう。

カテゴリー
ペット

どうしても書かなくてはいけないポッポちゃんのこと②

セキセイインコのポッポちゃんは、物凄く慣れました。オスなのでよくしゃべりました。思えば、小さい頃から今に至るまでで、自分で言葉を教えて、しゃべるようになったのは初めての経験だったのです。

鳥は、セラピーバードになれると思う

洗面所で待ってるポッポちゃん
洗面所で待ってるポッポちゃん

犬や猫も癒しをくれますが、鳥も同様に癒しを与えてくれる存在です。朝は、「早くケージから出してくれ~」と言ってるようですし、餌もねだります。一緒に遊んでほしそうにすることもあります。

手の上に乗ったり、頭に乗ったり、肩に乗ったりと、人間とのコミュニケーションを楽しんでるようでもあります。

「ポッポちゃん、こんにちは!」というと

「ポポチャンコンニチハ」と返してくれるのは、本当に楽しいものでした。

癒しを与えてくれる存在として、鳥はとても魅力的です。

掃除機のノズルの上で、身をほっそりさせてるポッポちゃん
掃除機のノズルの上で、身をほっそりさせてるポッポちゃん

部屋で放鳥すると、グルリーと飛び回るものの、すぐに僕の傍に来ます。こちらの画像は、掃除機のノズルの上に降り立ったポッポちゃんです。

「掃除できないからどいて」と言っても、はい、当然どきません。

仕方ないので、またまたコミュニケーション。

「ポッポちゃん、かわいいね!」

そんな風に、仕事が休みの日はなるべく一緒に遊ぶようにしていました。

こんな小さな身体なのに、感情表現がとても豊かです。

最初、セキセイインコの魅力があまりわかりませんでした。顔もなんというか、さほど愛着を感じるような顔でもなく、小さい頃から見慣れてしまったせいか、ふつう~な感じで、いつでも見られる小鳥だからでしょうね。

でもいざ飼い始めると、セキセイインコの魅力にはまりましたね。個人的には、「オス」が楽しいと思います。もちろん、もし、ポッポちゃんが「メス」だったとしてもかわいがったでしょう。飼い始めたら、オスとかメスとか抜きにして、飼い主はとても愛情深くペットと接するものですよね。

ここから僕を見守ってくれていたポッポちゃん
ここから僕を見守ってくれていたポッポちゃん

ポッポちゃんは、この場所がとても好きでした。

窓のところにカーテンレールがありますよね。そこに、ラジオ用のループアンテナを付けてあるのですが、そこからさらにこのように吊るして遊び場をつくったのです。

頭の上にある鈴がたまに邪魔なのでしょう。よく「鈴とケンカ」してましたね。

僕がパソコンに向かっていて、カタカタと一所懸命やっていると、ときおりキーボードの上に乗ってきて、歩き回り邪魔するのですが、「今、忙しいからあっちいってて」とやると、少し寂しそうにこの場所で見守ってくれていました。

チラッと見ると、ほんとにずっと待ってるので、さすがに僕も不憫になって、「ポッポちゃん、ちょっと遊ぼう」って手を差し出すと嬉しそうに飛んできてくれたものです。

ほんの一瞬の僕の不注意でした。

あれは、2018年9月23日の日曜日の朝のことでした。

いつものように、部屋にある鳥たちの水入れの水を交換して、餌を交換し、掃除機をかけていました。掃除機は大型のものではなく、ハンドタイプのものです。それなりに吸引力があり、手早く掃除するのに便利なのです。

僕はいつも自分の部屋に入るとき、ドアと締めるとき、椅子を動かすとき、歩くとき、などどこに鳥たちがいるかを目視してからやるようにしています。

この日の掃除のときにもそうでした・・・いや、そうだったはず・・・です。でもすみません、記憶が少し曖昧です。

掃除機をかけていて一歩後退したとき・・・・

「ピギャー」という絶対に今まで聞いたこともないようなポッポちゃんの声が聞こえました。しかも足元から・・・。

瞬間にわかりました。僕は右足でポッポちゃんを踏んでしまったのです。

それがどの程度の力を加えてしまったのかわかりません。でも間違いなく僕が踏んでしまった。

ポッポちゃんは、立てるはずなのに、立てずでパニックで動いていました。僕は自分の身体が思い切り震えるのがわかりました。同時に、「あああああああああああああああっぁぁああ」と大声で叫んでしまいました。

妻が入ってきました。

「わからなかった、どこにいたのか、わからなかった!踏んでしまった!」と訳がわからないぐらい、騒いでしまいました。身体の震えが止まりません。僕自身今まで経験したことがないぐらい気が動転してしまいました。苦しそうにしているポッポちゃんを今すぐに助けなくてはいけないと思っても何を優先して、どのようにしたらいいのか、わけがわからなくなって、平常心に戻ることが出来なくなってしまいました。

すぐさま、近くの動物病院に電話して、行きました。その間、どれぐらいの時間が経過したかわかりません。でもとにかくこの小さな命を助けなくてはならない、絶対に死なせてはいけない!という気持ちです。

お医者さんがいうには、足を骨折しているとのことでした。「うちでは、この子を助けてあげることができないので小動物を扱っているところを・・・」

説明を最後まで聞く気持ちになれませんでした。すぐさま、小さな小鳥でも診てくれる病院をネットで探して、祈るような気持ちで駆け付けました。

朝の時間帯、少し混んでいました。

気持ちはあせるのに、なかなか車が進まない。

早くポッポちゃんをお医者さんに診てもらわないといけないのに、進んでくれない。

すごく焦りました。でもポッポちゃんに声をかけながら、

「頼むから死なないでくれ!」と叫びながら僕は何とか正気を保っていた感じです。

自分が

自分が踏んでしまったのです。

いつもなら本当に注意深く視認してから一歩を踏み出すのに、そのときは、後退してしまいました。

そこにポッポちゃんは、僕という人間は害を及ぼさないと信じて歩いていたのです。

いつもなら僕の肩の上、頭の上、背中の上などにとまっているポッポちゃんが、下を掃除していたことで床に興味がいってしまったのです。そこを僕は踏んでしまった。

車を運転しながらもそのときの情景が、踏んだ瞬間のポッポちゃんの叫び声が、頭の中を何度も何度もめぐっていました。

僕を信じてくれていたポッポちゃんをこんな形で裏切ってしまった。

僕は本当に涙が止まらなくなりました。

あと3キロ・・・ナビゲーターの距離からするとあと3キロです。

あと2キロ・・

「もう少しだからね、ポッポちゃん!!!!」

あと1キロ・・・・・

「頑張ってくれ、ポッポちゃん、あと少しだから絶対死なないでくれよ・・!」

あと500メートルとところでした。

時間と距離との戦いだったので、「あと500メートル」このことが今でも頭から離れません。

あと500メートルのところで、ポッポちゃんは、最後に目をカッと見開いて、何かを叫び絶命しました。そのとき僕はポッポちゃんと目があったのです。

最後の最後に目があったのです。

病院に到着したときに、どう身体を揺さぶっても

ぐにゃりとして動きませんでした。

小さな命を僕が奪ってしまったのです。

溢れる涙を抑えることが出来ず、ずっと波が止まりませんでした。自分の中にある後悔がどこまでも押し寄せてきて、つい先ほどまでポッポちゃんは生きていたのにという思いと僕が命を奪ってしまったのだという思いと、手の中でうずくまるようにしているけれど、絶対にもう動かないのだという思いと、色々な思いが渦巻いてしまいました。

小さな黄色い身体は、生きていれば躍動的で一回りも二回りも大きく感じたこともありました。

でも死んでしまったあとのポッポちゃんは、小さくなってしまいました。

涙があふれて仕方なかった
涙があふれて仕方なかった
ポッポちゃん、本当に本当にごめんな
ポッポちゃん、本当に本当にごめんな

大切にしていたポッポちゃんを

僕自らの不注意で

亡くしてしまいました。

2018年9月のことです。

ポッポちゃんの声をもう聞くことが出来ません。

だからこの写真が大切なんです
だからこの写真が大切なんです

カテゴリー
ペット

どうしても書かなくてはいけないポッポちゃんのこと①

小さなセキセイインコ、ポッポちゃん。

僕はどうしても書かなくてはいけないのです。今日はその第一弾としてお送りします。

セキセイインコは、けっこう皆さん飼ったことがありますよね

ポッポちゃん餌箱の上に佇む
ポッポちゃん餌箱の上に佇んでいます。

セキセイインコの「セキセイ」は背黄青と書きます。実は本当に大人になるまで、「セキセインコ」だと勘違いしていました。ちゃんと意味があるのですね。「セキセイ」。

ペットショップに行けば、けっこう気軽に出会えるセキセイインコなのですが、あまりにもポピュラーなため、確かに人気はあるのですが、敢えて飼おうとは思ってもいなかったのです。

ところが、とある日に、ペットショップで他の雛よりもなんとなくみにくい感じで、毛もよれよれで、模様もまだらだったこの子に出会いました。急に天からの啓示が降り立ったが如く、ポッポちゃんを飼い始めたのです。

予備知識で、セキセイインコのオスとメスの見分け方みたいなものをネットで見ていたのですが、さすがに雛の状態では雄雌の判断は難しく、「う~ん、オスかなぁ、メスかなぁ」と悩んだのですが、何となく・・・そう、何となくそのときは直感で、この子は「オス」に違いないと決めつけていました。

実際、ポッポちゃんは読み通りオスでした。

画像は、鏡が底についている紫色の餌箱に上でたたずんでいるポッポちゃんです。ちょっと眠そうな様子のところをパシャリと撮影しました。

雛のときの写真を撮っておけばよかったなぁと後悔しております。

ポッポちゃんには、かなり小さいうちから毎日話しかけていました。オスに違いない!オスに違いない!と思いつつ、オスであってほしいという願いも込めながらです。

語り続けた言葉は

  • ポッポちゃんこんにちは!
  • ポッポちゃんかわいいね!
  • むか~し、むかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
  • ママさん、ごはんちょうだい!

すると、、、だんだんと耳を傾けるようになり、ポッポちゃんは見事にしゃべるようになってきたのです。

一番笑ったのは、

「むか~し、むかしあるがpgbヴぁb、おじいさんとママさんがすんでいました」こんな風に言ったときですね。

「ポッポちゃんこんにちは!」はけっこう綺麗な発音でしゃべれるようになって、どこでもついてくるセキセイインコに育っていきました。

お風呂場に一緒に行くと、お風呂ってエコーがかかるじゃないですか?だから、よく発声練習してましたよ。

オカメインコのきみちゃんとセキセイインコのポッポちゃんは、一緒にいることが多かったです。

きみちゃんとポッポちゃん
きみちゃんとポッポちゃん

はい、これが第一段です。

僕にとって、忘れることが出来ない・・・。

書こうか書くまいか悩んだけれど、でもやっぱり書かなくてはいけない。

カテゴリー
blog

いちおうスーパームーン

いちおうスーパームーン
いちおうスーパームーン

あわわわ、

こんな画像だったのですね・・・・。

でも「いちおうスーパームーン」です。

やたら月がまぶしく感じました。

月はとても神秘的

昔から、、、というわけではありませんが、そうですね、この10年ぐらいでしょうか。

やたら月が好きになりました。

なんとも神秘的ではありませんか!?

月の満ち欠けカレンダーなんていうのもよく見ますよ。

満月、新月とかどこか意識してしまうのです。

かと言って、アポロが月に、、関連の映画などはさほど面白いとは思わず、月にまつわる神秘な世界のほうに興味があるということです。

だいたい天体の学習も苦手でしたからね。

一番信じているのは、満月のときに何かが起こるってやつ

これはですね、地球上の生物、神羅万象は、全部月の影響を受けてるんじゃね?ぐらいに思えるところから端を発します。

引力とか、そういう物理めいたことは置いておいて、何かと月が影響を及ぼすことは「絶対」あると思うんですよね。

中でも「満月」ですよ、やっぱり。

初対面の人といきなり月の話はしないですが、少し慣れてくると月の話はしたくなるのです。

満月のときに、なんかアレ?と思ってことはありませんか?

満月は、人の気持ちを大きくするっていうこととか。

満月は人の気持ちを荒々しくするとか。

マーケットの転換期が満月の時期と符合することもけっこう多いんですよね。

ふっしぎですね!

夜でも怖くない、月明かりがあるから

まぁ、子供の頃は、月が煌々と明るかろうと、夜道は怖かったですが、大人になってからの僕は、夜の帳が下りて、真夜中すぎて、丑三つ時とか、もう最高に気分が盛り上がってしまいます。

前、オンラインゲームにはまっていたときにもそういう時間帯に海外の人とかも登場して、英語のチャットをしますよね。

そうすると、だんだんと英語のタイピングも早くなるんですよ。

英文法は多少おかしなところはあったかもしれませんが、普通の会話でしたら、うん、ちゃんと伝わってるのがうれしかったです。

そのゲームの世界でも月が登場しますね。

ゲームの中でも夜の訪れは、場面の変化でもあり、わくわくしたものです。

カテゴリー
blog

とあるネットショップでマスク1000箱があっという間に売り切れを目の当たりに見た

マスク、消毒液、ハンドソープ、WEBカメラなど、この事態に想定するものが悉く入手困難になっています。

まともに買い物に行けるのは日曜なのですが。。。

毎週日曜日は、必要なものとか、買い物に行く習慣がもう何年も続いています。買い物=自分の中ではちょっとしたストレス解消なのかもしれません。

車で出かけて、今日はどこに行こうか!と思いつつ、気ままにショッピングです。かと言って、ドカンと無駄遣いはできませんので、必要なものを必要なだけ買い物するわけですね。

でもホームセンター、ドラッグストア、スーパーなどは、開店前からけっこうな行列となっていて、なかなかあの列に参加する気になれません。

何気なくネット見てたらマスクはけっこう売ってる

そんなことに気づきました。(遅い?)

で、たまたま今日見かけたお店が即配が可能で早いもの勝ちで、尚且つ1000箱を売りにだしているのを見かけました。

ひと箱3980円が高いのか、安いのか、今までマスクを買ったことがなかったものですから、わからなかったのですが、50枚ひと箱で3980円ということは、一個あたり80円弱ということになります。

うん、きっとこんなもんなんだろうなと迷わずポチっと買いました。買ったあとに、う~ん、もうひと箱買おうかなと思ったわけですが、でもこういうのって、買ったはいいけど詐欺もあるって聞くし(特にこのご時世)、とりあえずどうなるかわからないけれど、試しにひと箱でいいやとなった次第です。

仕事して、何気なくそのサイトをリロードしたら、「売り切れ」と。。。

1000個の販売が完了していたようです。

なんか卑しくも即座に計算しましたよね。・・・何時間かで売上高398万円なり!と。

すごい!なんだかすごすぎますね。

しかもそのサイト、今日入荷した品物1000個を販売に出したわけです。

それが・・・ものの数時間で完売。

目の当たりにしてしまったので、びっくりしました。

どこかにあるかな?WEBカメラ内蔵マイク付き

で、僕は今、WEBカメラ内蔵マイク付きが欲しいわけです。本当は持っていたはず(3個も4個も)なのですが、どこかの箱に入れてしまってしまったのか、それとも捨てちゃったのか、自分でも記憶がありません。

今ノートパソコンをメインでつかっているので、こちらには、マイクとカメラが内蔵されているわけですが、どうも画質が荒いので、ほしいのですが、どこにも売ってません。

メーカーでも欠品中状態らしいですね。

そのうち生産が追い付いてくるとは思いますが、人気商品では下手したら何カ月待ちとかなるのでしょうか?

僕が欲しいのは、売価で2000円から3000円ぐらいのものです。WEBカメラ内蔵マイク付きですよ。

WEBカメラとマイクが別体ではなく、一体型がほしいのです。

ないっすね~

やたら金額が高いものはありますよ。3万いくらとか、4万いくらとか、

え?

え?

え?

通常のWEBミーティングとか、ちょっとした会議などで使うときには、そんな高額なものはいらないですよね。

本格的に、youtubeとかやってる人ならいざしらず、用途が限定的なので、さすがに高額すぎるかなと思います。

なので、仕方ないから、ipad でやるしかないっすね。

カテゴリー
ペット

ららぽーとの近くに住んでいる木の上の猫

船橋市にららぽーとという大きなショッピングモールがあります。その近くに小さな公園があるのですが、そこに住んでいる猫をレポートします。

木の上から「ニャーニャー」

木の上の猫
木の上の猫

どうやってここまで登ったのだろうか、と心配するぐらいの高さです。

吾輩は猫であるの「松すべり」の場面を振り返ってみましょう。

吾輩の爪は前申す通り、皆後ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力はことごとく、落ちる勢いに逆らって利用できる訳である。従って落ちるが変じて降りるになる。実に見やすき道理である。
 しかるにまた、身を逆にして義経流に松の木越えをやって見たまえ。爪はあっても役には立たん。ずるずるすべって、どこにも自分の体量を持ちこたえる事はできなくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企てたものが変化して落ちる事になる。この通り鵯越はむずかしい。猫のうちでこの芸ができる者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して『松すべり』と言うのである。

松の木を登るときにはいいけれど、降りるときには、猫の爪は役立たない、でも吾輩はその芸当ができるのだ、それを「松すべり」と言っている。

まとめるとこんな内容です。

まぁ、現実的に猫の爪を想像すればわかりますよね。

果たして、画像の白い猫はちゃんと降りることが出来るのか、(出来たのか)ちょっと心配ではありましたが、ニャーニャーいうのを後目にその場を立ち去りました。

それにしても猫の顔もかわいいものですね。

猫は猫たるがゆえに可愛い。

猫の可愛さは、顔の表情にあると思います。

はてさて、画像の白い猫は、このときの胸中はどんな感じだったのでしょうか。

カテゴリー
blog

お金って、所詮は紙なんだよね

子供の頃、聖徳太子の一万円札を初めて手にとったとき、ちょっと大人になった気分に浸れました。

今回は、お金の話です。

お金は破れるし、燃えますよ

たいてい、命の次に大事なもの=お金とイメージする人が多いと思います。これって呪縛なんだけれど、どうしても逃れられないですよね。

理屈はわかります。お金は単なる紙だし、破れるし、燃やせばボッとすぐに燃え上がることでしょう。

それだったら、世界中どこの地域に行こうが等価交換が出来る「金(きん)」のほうが価値あるじゃん!と思うわけです。

僕らは、生まれてからずっとお金の呪縛にぐるぐる巻きにされていました。どうしてなのでしょう。

物々交換は大変だからね

本当に必要なのは、物資です。モノですよ。

そのモノと交換できるように便利にしたものがお金です。モノとモノの交換は、大きさも違えば、価値の基準やありどころが地域によっても異なるかもしれません。

でも紙ぺらに「これは1000円」と書かれた札があれば、1000円の価値のある品物と交換できます。

持ち運びに便利で、スムーズにモノを手に入れることが出来るということですね。

1000円札には、1000円分の価値がある

10000円札には、10000円分の価値がある

僕らはこう教わりましたし、それに対して今疑う余地はありません。

そしてお金には「価値」と同様「信頼」がなくてはなりません。お金には、日本銀行券と書かれていますよね。つまり日本銀行がつくったものです。とどのつまり日本という国が発行しているものです。だから信頼があります。

人によって、お金の価値に対しての重みの感じ方が違う

ある人にとって、10000円は大金かもしれないし、ある人にとっては、10000円は小銭感覚かもしれません。

人によって、同じ10000円だけれども、感じ方、お金の重みが全く違いますよね。

とりあえず、日本銀行が発行している本物の10000円札であれば、10000円の価値が同等価値としてあるので、人によってその感じ方が違う。

僕は10000円は小さなお金には感じません。やはり財布からするっと抜けていくときには、「ああ、一万が・・」って思ってしまいます。

ところが事業をやっていくと、大きなお金よりも小さなお金にこだわる

つまり「投資」として捉えられるものには、どんと投資して回収イメージをもって、投資がお金を呼び起こすという感覚になれるのです。

ところが、ミスコピーで、ジャッカジャッカと出てしまったあかつきには、「ちっ!無駄遣いしちゃったぜ」と本気で思います。

朝出勤して、換気扇とか空調がつけっぱなしだと、「ちっ!あいつ!消し忘れたな!」とか本気でイラっとしたりします。

なんでこんな感情になるのでしょうか。

たぶんお金=お金ではなくて、お金=お金を産む という感覚が経営をしていくとだんだんと身についてくるからなんだと思います。

垂れ流した電気は元に戻りません。

ミスったコピーは裏紙で使うか捨てるしかありません。

でも投資(投機ではないですよ)は、お金を産みだす可能性があると考えられるのです。

ですから、お金には、10000円と書いてあり、10000円が一束あれば100万円なわけですが、3円、5円、100円の無駄よりも100万円の投資をえらびたいわけであります。

お金の呪縛って、意外とここにヒントがあるように思います。

お金の呪縛から解き放たれたい!

もう大昔からそう思っていますよ。

でもまだまだ凡人、凡人、ただの凡人なので、そう思い込んでもなかなか身体に今までしみついてきたものが洗われているわけではなく、精神面のタフさが不足しているなって自分でも感じます。

不思議に思いませんか?

同じ人間なのに、かたや兆の単位でお金を持っている人もいれば、貯金がほぼない状態で暮らしをしていかなくてはいけない人もいます。それどころか、借金だらけの人もいます。ゼロではなく、マイナス状態ですよね。

金を追うより、金がついてくるようにするためには!

はぁ・・・こんな境地にまだ至っていませんので、この点は先人たちの教えに学びましょう。

でも何となく、何となくですがわかってきました。

例えば、SNSなんかを見てみれば、無料で使えますよね。無料で使わせてなんでマネタイズできてんだろ?って思ったりしませんか。

要は、「見込み客」なんですよね。

もうね、本当に簡単に言うと「見込み客」に尽きると思います。

多くのユーザーさんが登録してくれれば、その分だけちょっとしたアイディアと工夫で収益化が出来るということです。

顧客はもちろん大切ですが、顧客化される前は、みんな見込み客です。

見込みのあるお客さん=将来顧客になってくれるかもしれないお客さんをいかに、いかに、いかに集めるか!?

この点がとてもなく大きなポイントだと思います。

カテゴリー
オススメ

マスクの代わりに100均バンダナ(ダイソー)

まずはこちらご覧ください。

100均 バンダナ (ダイソー)
100均 バンダナ (ダイソー)です。肌ざわりもよくて、マスク代用品となります。

100円なので、気軽に買って試してみてください。

日曜日に、色々お店に行ったのですが、「あるかなぁ~」と思ってみたところ、マスクはどこにも売ってませんでした。

街中では、黒いマスク、モスグリーンのマスク、クマさん模様のマスク、とだんだんとカラフルになってきましたので、じゃぁ僕も別にマスクじゃなくていいや!ということで、100均の代表格である「ダイソー」でバンダナを買ったのです。

画像のものは、水色ですけれど、もう一つ白を基調にしたペイズリー柄のものをすぐに着用してみました。

着用・・・というか、バンダナで口と鼻を覆う形で、後ろで結ぶだけです。

バンダナを選ぶならば、肌触りで!

今回、お店には、この肌触りがスベスベした感じのものと、若干ゴワゴワした感じのものの2種類があったのですね。

迷わず、スベスベバージョンを2つ購入したのですが、これが正解でした。

市販されている紙マスクって、しゃべっているうちにずれたりしますし、皮膚に接している部分がかゆくなったりしませんか?僕は敏感肌でもあるので、あの紙マスクをずっと一日中つけていたら、かゆくなりますよ。

ところが、このバンダナをマスク替わりに装着したところ、かゆくなりませんでしたし、顔の皮膚に触れている部分がソフトなので、なんともいい感じなのです。

それに僕は眼鏡なので、紙マスクって、自分の吐く息で室内にいてもすぐに曇るし、そのたびにマスクの位置を変えるのが面倒なわけですね。一日が終わるころには、ヨレっとなってしまって、何度もマスクの位置を直すので、表面も汚れた感じになってしまいます。

バンダナマスクはですね、この肌触りと蒸気が上手く逃げるのと、眼鏡の下弦の縁のあたりの顔のフォームにうまく密着するためか、曇りにくかったのです。

曇る場合には、後頭部で結んでいる部分をもう少し強めに結んで、密着度合を増せば大丈夫です。

もちろん、バンダナマスクでウイルスが完璧に防御できるかどうかはわかりません。

でもマスクをする行為って、自分の安心感を担保するためでもあるので、そういう観点でいうと、何もつけていないより安心感は増しますよね。

バンダナですので、顎の下にデローンと三角形型に垂れてしまいますが、こんな事態ですので、誰もそんなの気にしないですよ。

ガスマスクつけてても気にされないと思います。

というか、他人は皆さんが思っているよりあなたのことなど見てません。安心しましょう。

下にデローンとなってしまう三角形型が気になったら、うまく折り返しておけばいいです。

ちなみに日曜日は、このバンダナをしながら買い物しましたが、「なんだそれ?」という杞憂な目で見てきた人は誰もいませんでした。

それぐらい、人々は理解しています。

「あ、マスクないからバンダナで代用だな」って。