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夏休み。

「夏休み」という言葉の響きは、それだけでどこか自分をタイムトリップさせてくれるかのようです。

去年の夏は夏っぽくなく、みんな我慢した

2020年は人々の気持ちに、グサリと何かを打ち込みました。世界中が色々と我慢しました。

夏、会社の休みの日にどこにもレジャーに行かなかったという特別な年でした。

今年はどうでしょう。

先日、どこかのお母さんが、自転車の前のかごに、アサガオの植木を入れて、子供と一緒に帰ってきていたのを見ました。

「ああ、アサガオか。小学校のときに育てたよなぁ」その歴史は今もあるんですね。

小さい子供にとっては、夏休みの40日間は、冒険の日々となります。家族でキャンプに行ったり、海に行ったり、プールで泳いだり、温泉旅館に泊まりに行ったり、遊園地に行ったり、映画見たりと、たくさんの思い出づくりができる夏休みです。

「いいねぇ~ 子供は」

そんな冒険を楽しむ子供を見ているのもけっこう楽しいです。今年の夏は、少しは遊べる夏になるのでしょうか。

夏休みがくれたもの

それは、キラキラとした水滴がほとばしるような思い出でしょう。僕らは自由に頭の中で、空想の旅をすることが出来ます。なんでも自由にです。

夏の思い出は、ちょっと美化されて、頭を駆け巡りますが、本当にあった思い出のストーリーはそのまま残しておきたいものです。

生まれ育った家、当時の友達、今から思えば笑っちゃうぐらいの青春。

夏は勢いよく過ぎていきます。だから夏休みは、一日単位どころか、半日単位ぐらいで、一日を2倍楽しんでほしいです。

早朝の夏、炎天下の夏、蝉しぐれの夏、日が沈む前の夏、夜の帳が下りたあとの夏、真夜中の夏、

どれもが楽しい。

こう思いませんか?

んな 子供時代の夏は、過ぎ去った思い出の1シーンが数個頭によぎるかもしれませんが、たいていのことは忘れちゃっているのです。

そう、たいていが日常の夏を過ごしてしまう。もったいないですね。

これ、大人になった今も同じです。

アグレッシブにエネルギッシュに、意欲的に、わくわくした気持ちのまま、大人の夏を満喫しようではありませんか。

遊びも仕事も思い切りやっていけばいいのです。

怖がることはない!!

思い切りいこう!夏。

子供たちの夏とは違う 大人の夏は、何か生産性のあるものにしたいですよね。

特にビジネスをやっている人は、この夏もゆで上がるぐらいに色々と考えることでしょう。

考えて、考えて、考えて、頭がヤバイ、爆発しそうだ!ぐらいになってもいいじゃありませんか。

それが大人の夏です。

だって、夏が終わったら、・・・・冬ですよ。

そして年末が来て、除夜の鐘ですよ。

2022年は令和4年ですよ。

大人の夏は、子供よりも突っ走る夏であるべきだと考えます。

夏休み(子供は)ですが、大人はお盆あたりに休みですね。小さい子供がいるご家庭は、子供との思い出をいっぱいつくったほうがいいです。

ある程度親離れしてしまった子供がいる家庭では、特に仕事やっている人は、突っ走る夏にしましょう。

汗水流して、美味しいビールを飲みましょう。(僕は飲めないけどね)

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好きなことを仕事にする。好きなことは仕事にしてはいけない。どっちが本当?

事業をやろうか!そう思いたった時が吉日だと思います。その際、今やっている仕事の延長線上の内容の仕事もありでしょうし、まったく異なる業種もありだと思います。

しかし、意見は分かれる

僕は今の仕事を開始するときに、けっこう資料とか取り寄せました。最終的に決定して今に至るわけなのですが、そのとき、やっぱりネットで調べたわけですよ。

「仕事 好きなこと」とか、「事業 何やる」とか、そんな検索ワードとか、諸々です。

意見が分かれます。

①自分が好きなことで仕事をやる

②自分が好きなことは仕事にしてはいけない

みなさんは、どちら派ですか。

トラウマがある

僕には大きな大きなトラウマがあります。それはたぶん、死ぬ0.01秒前まで頭にこびりつくようなトラウマです。

何度かこのブログでもお話しましたように、最初の事業は大失敗だったわけです。

僕はご存じのとおり、動物が大好きで、ペットもたくさん飼っているし、犬や鳥との生活はそれこそが自分のライフスタイルの一環だとぐらい考えております。

どっちかというと、人間よりも動物のほうが好きなのかもしれません。(そんなことないか笑)

最初の事業はペットショップです。

ものの見事に失敗しました。

大好きな動物に関しての事業です。でも失敗の原因は、すべての読みが甘かったということです。

また、アレもコレも詰め込み過ぎたのが一番の失敗原因だと思っております。

生体も売る、グッズも売る、餌も売る、ミニドッグランもある、トリミングもある、預けもある、あげくの果てには、店内で軽飲食ができる・・・

いやはや今考えても、我ながらすごいなと思います。

約70坪のスケルトンを店舗にする仮定における、いわゆる店舗デザインもプロに依頼したのではなく、なんと、自分で図面書いたんですよね。

めちゃくちゃですよね(笑)

店の名前は、インスピレーションでたぶん1分ぐらいで決定して、あっという間にサイトも作って、人を雇って、すっごいスピードで開業して、すっごいスピードで散りました。

大好きなことを仕事にして、散ったのです。

そういうトラウマがあります。

では、好きなことを仕事にしてはいけないのか!?というと、それは違うと思います。

僕の場合は、やりすぎたのです。一番最初の事業でバカみたいな投資をして、バカみたいなやり方をしたのです。

ある人は言いました。

「物販だけにすればよかったんだよ」

「ペットのホテルとトリミングに特化したほうがよかったのでは?」

確かに・・・あのときは、げっそりと痩せて、食事もうまく喉に通らないぐらいでしたね。

無謀じゃなくて、着実に小さくてもいいから着実に

恐らくですが、この大原則を守ってやったほうがいいと思います。コストって、前から言うように、息しているだけでかかるものですし、

細かく計算していくべきだと思うのです。

例えば、支払い手数料という勘定項目がありますよね。

あれって、銀行の振込手数料とか、何かのシステムを導入すれば、その月額費用とか、そいいうやつ全部含まれます。

もしかすると、従業員さんとかバイトの方から見ると、月間いくらのコスト削減とか、そういうのは馬鹿らしいと思われるかもしれません。

でも違うんですね。

塵も積もれば山となるは本当なんだ

コストについて考えるとき、小さいコストでも削減できればしたい、そう考えるのが個人事業主であり、オーナーであり、実際に自分の財布から身銭を切って経営している人の本当の姿です。とてもリアルで、涙ぐましい姿なんです。

例えば「赤いボールペン」を買うとするじゃないですか。

なんかブランドものなのか知りませんが、こう言ってはなんですけど、赤ペン1本に200円とか300円とか僕の中では「ありえない」なんですね。

トイレットペーパーとか、ティッシュでも10円でも安いほうがいいと思ってるぐらいです。(ホテルじゃないのだから)

こういうのって消耗品に部類するのですが、これもね、一か月、一年、と考えていくと、けっこう差が出るんですよね。

もしそのちょっとぐらい贅沢感覚が1店舗じゃなくて、10店舗、100店舗ならどうなりますでしょうか。

すっごいコスト高になるんですよね。

床屋に行かなくなった理由

僕はもう数年来床屋に行ってません。

すきばさみが家にあり、自分でカットです。セルフカットですね。自分の利き手は右なので、上、右側、後ろの右側はこういうのもなんですが、パーフェクトです。

しかし、左側はかなりやりにくい。

★ここで提案ですけどね、セルフカットで左もうまくできるような何かがあったらそれ買いたいです。

でも何度もセルフカットするうちに、自分で工夫していい感じにカットできるようになっちゃったんです。

これも大きなコストカットに繋がっています。

1000円カットだとします。

一年間にそうですね、10回いったとしましょうか。そうすると単純に10000円。これですきばさみの元は余裕でとれています。

それがたぶん5年以上です。

最初はセルフカットは、みっともないし、かっこわるい仕上がりになることもあったり、せこすぎる!と自分で自分を責めましたが、俳優の阿部寛さんが10年セルフカットしているというのをテレビでたまたま観たときに、

「おお、そうなんだ。じゃ、俺も」ということで、俄然やる気がでましたよ。

冷静に考えれば、好きじゃないことって長続きするのだろうか?

そうです。

好きじゃないことって長続きしますかね?仕事ですよ。仕事として取り組もうとするときに、好きではないことを長く続けているイメージを自分自身でもてるかどうかです。

どうもイメージがわかないです。

僕は好きなことをやって大失敗はしたのですが、そもそものやり方がド素人だったための失敗だと思っています。

今、動物関連の仕事をやるとしたら?

う~ん、生体はやらないと思います。

生体をやるなら、ブローカーさんと契約を結んで、予約制にするでしょうね。つまり店内に生体は置かないということです。マスコット的に、鳥ちゃんが居てもいいかもしれないけれど・・・。

生体をやるリスクは、病気のまん延とか、死亡リスク、その他色々考えられます。

カメラ動画のセットをブローカーさんに導入してもらって、WEBか店舗での完全予約方式でいきたいですね。

で、グッズ販売もやらないです。

在庫リスクが大きいからです。

人との対面のヘルスケアでトリミングとホテルでしょうね。きっと今ならそうしたと思います。

動物たちは医療の進歩もあり、長生きするようになりました。だから、老犬とか動物たちの老いというものを一緒に考えつつ、飼い主さんとペットをケアしていきたいです。

なので、温泉とか、セルフシャンプーもいいでしょうね。

そんなの家で洗ってあげればいいでしょうと思うかもしれませんが、ヘルスケアというくくりで言うと、動物の健康状態は、触ることによって発見できることがたくさんあるからです。

そこにもし専任のスタッフがいたら安心ですよね。

自分の好きなことを羅列してみる

だいたいよくある話ですが、自分の強みは何なのかを羅列してみるといいでしょうね。

僕の場合は、


・動物が好き
・食べることが好き
・買い物が好き(特にスーパーとか、お魚屋さん、市場みたいなところ)
・パソコンが好き(凝ると自分でサーバー立ち上げたりしちゃいます)
・ゲームが好き(下手ですし、たいてい最後までいきませんが)
・文章を書くのが好き(ブログもそんなノリです)
・車が好き(今は軽自動車ですが、本当はアメ車とかが好き)
・バイクが好き(スクーターとか、古いバイク)

こんなところでしょうか。

つまりここで好き勝手書いてることって好きなことが多かったりします。そうするとですね、

変に頭で構成とか、どんな文章にするか、だとか、考えなくても手が勝手にキーボードを叩くがごとく、スラスラ~と打てるんです。

もし、これが自分の苦手な分野のことだったら、まったく書けないだろうし、調べながら無理して書くけれど、ノリが悪いと思います。

例えば、今のアイドルの人たちとか全然わからないので、書けと言われても書けないでしょうね。

好きこそものの上手なれ

です。

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粗利からは、なかなか読めない。実際は正しくコストを把握することだと思う。

WEBサイトは情報の宝庫です。
知りたいことが、ほぼなんでも調べられるということで、この調べる・調査するということは毎日何かしら行う生活の一部です。そして、悩みを抱えている人も多く検索されることと思います。

誰でも簡単にできる仕事は競合が多い

さほど専門知識を必要とせず、無料で使えるツールがあったりすると、それは誰でも簡単にできる仕事になります。

継続するのもやめるのも簡単ですので、入りやすく出やすい商売ですね。

でもそういう業務は、たいてい多くの競合が存在するため、想定以上にコストを覚悟しておかなければなりません。

これがなかなか想定できないんですよね。

売上高の皮算用をしてしまう

これは僕も何度も経験あることですが、売上高を実態以上に想定しまうことがあります。

例えば、何か品物を仕入れて売るとします。

その際、売れたイメージが先行して、さらには、月間売上高を想定し、年間でこのぐらいか・・・と膨らんでいきます。

その段階で、売上高への夢が拡大してしまうので、計算の根拠がどこかに飛んでしまいます。

これだと思った以上にうまくいかなかったときに、気づきが遅くなってしまうかもしれません。

税理士先生と話しをすると何となくわかる

当方がお付き合いさせて頂いている税理士先生と昨日打合せをしました。

印象に残っているのは、

気づかない出血がぽたぽたと毎月あると、もうちょっと頑張ればとか、どうしても間延びさせてしまう。

例えば事業をやめたときにその後処理としてかかるコストは今であろうと、1年後であろうと変わらないじゃないですか。

だったら早い決断のほうがいい。

この出血ポタポタの話は、とても分かりやすかったです。

先生は、税理士業以外にも複数営んでいる方で、さすがに数字に強いです。

また、利益というものに対しての見方もシビアです。

そして、店舗とかでもどんどん拡大しているところっていうのは、単月売上が成り立ち、利益化したらすぐに次の出店にかかる、というものでした。

開業コストが1000万だとします。

でも黒字化したら、すぐに次、つまり1000万円の回収があったら次ではなくて、そのお店の単月黒字化が出来たら次!というスタンスです。

その際、当然ながら借り入れも出てくるでしょう。

拡大ってじっくりじんわりじゃなくて、けっこうスピーディなのですね。

粗利から・・・いやもっと他にかかるコストがある。

売上高から原価を引いたり、そのモノを売るための諸々を引くのですが、

コストってけっこうあるんですよね。

人件費、地代家賃、水道光熱費、通信費、各種支払手数料、人を雇えば社会保険料、事務用品費、雑費、補修修繕費、広告宣伝費、交際費などなどです。

他にも人材登用時には、募集広告、サーバー代金、ドメイン、研修費用、など、細かく見ていくと塵も積もればでかなり多くなります。それぞれを節約、節約!とやったとしても節約の限界があるため、どうあってもコストというのは、想定よりも多くかかるものだと認識しておいたほうがいいかと思います。

このコスト把握を間違えてしまうと、売上高を挙げても結果計算したら、あれ?利益がない・・・ということになってしまったり、赤字だ!ということになりかねません。

単純だけど、そう簡単ではない

売上高が200万で、かかったコストが100なら、100万のこるなというようなどんぶり勘定だと、必ずずれが出てきます。

それは2つのズレです。

売上高200の見込みが、150になった。。。
コスト100の見込みが、150になった。。。

つまり最初の想定では100は利益だよなっていう部分が、50万ずつずれたら、売上150でコスト150なので、その瞬間利益は0となります。

なかなか恐ろしい世界です。双方のずれは25%ずつ・・・ですね。

じゃ、10%ずつずれたとします。

売上180で、コストが110になりますので、70ですよね。改善された数字が

15%でこんな風に変わってきます。

このように単純な計算なのですが、想定外のことがけっこう起こるんです。

大きな流れでいえば、季節変動もあるでしょうし、人的な問題も発生するかもしれませんし、外的要素がもあるかもしれません。平々凡々の日常とは違った何かがプラスにもマイナスにも作用しますね。

投資は大きいほうが実入りも大きいって

これをそのまま受けると、投資額が100万円より1000万のほうが売上とか利益もでかいよ、とつながってきます。

でも忘れてはいけないのは、ポケットから100万でた、1000万でた、の違いです。

出たお金がデカいのですから、その分、リスクも背負いこんだということです。

ゼロスタートじゃなくて、マイナススタートですので、やはり軌道に乗せてからのほうがシンプルに良いのかもしれません。

そういう観点では、1店舗目で利益が出たら2店舗目というシンプルなお話ですが、理にかなっています。

大企業になれば、1000万円の投資額はたいしたことないかもしれませんが、中小の我々にとっては、死活に繋がることでもあります。

そうそう簡単に「ほいほい」とやれない実情もあります。

なぜなら見えないお金が毎日出ていくからです

僕はこう思うのです。

生きている以上、その瞬間からコストにさらされていると。

息をしている以上、何かしら必ずお金がかかるということです。

例えば、僕が2時間 仕事中にぼ~~~~っとしていたとします。これって生産性0の時間なのですが、実はマイナスの時間ということになります。

何故なら、すべてのコストは、秒単位でかかっているからです。

地代家賃は一か月に一回ですが、これを日でやってみたりするとわかります。

仮に20万円の家賃を支払いながら事業をやったとします。そうすると、月に一回、支払日に家賃のお金が出ていくという感覚になりがちですが、

時間計算してみますと、

20万円の家賃を日割りします。そうすると6667円になりますね。つまり一日で何も生まれなくても家賃は約7000円発生していることになります。

今度は7000円を24時間で割ると、一時間当たり292円です。なんだ、たいしたことないじゃないか?と思いますよね。

でも僕がぼーーーーっとしていた時間は2時間なので、生産性0の状態で584円失いました。

さて、コストは上述のように家賃だけじゃないですよね。人件費とかたくさんのコストがかかります。

すべてを案分費用として割り出していけば、一人の人間がそこに存在するだけで、コストとしてこんだけかかったるのか・・・とわかるはずです。

だって、家賃だけでは(箱ものだけでは)商売は出来ませんし、人が生きている以上、コストは秒単位ですから。

もっと考えれば、コストを全部埋めて、尚且つ利益を出すということは、

例えば150万のコストをかけたら、150万円を超える売り上げがなければなりません。

じゃここで、1,500,001円の売上だとします。150万1円です。売上高150万円超ですよ、1円オーバーしました。

これって利益1円です。

売上高150万を超えたから生活ができるかっていったら生活面コストも考慮すると完全に赤字ですよね。

なので、生きていくための利益が絶対に必要なんですね。

もうこれは絶対です。

よく・・・大きな大きな企業が、赤字何億円とか、何十億円とかありますけど、元々の内部留保があったり、そういう大きな企業は銀行がバックアップしてくれるケースも多いので、そんなに簡単には倒産しないです。

でも中小は、そうじゃないですよね。

資金繰りがうまくいかなくなったらアウトです。

絶対に死ねねぇ

何か事業をやろうとか、経営者になろうとしたら、鬼気迫るものをもっていたほうがいいかもしれません。強靭なですね。

だって、絶対に死ねねぇからです。

サラリーをもらう立場じゃなくて、全体をきりもみする立場でしたら、もうそれは狂気の沙汰ですよ。

そういう気持ち痛いほどわかりますし、

怖い世界ですよね。

でも怖い怖いじゃいつまでたっても前に進めません。

時には特攻も必要でしょう。時には泣きもあるかもしれません。でも孤独なんですよね。誰もその特攻をほめたたえてくれないし、仮にそれで玉砕しても誰も慰めてくれないです。

泣こうがわめこうが、全部、本当に全部、自己責任です。

だから甘えられないし、孤独なんです。

泣くときは一人で泣き、悩むときも一人で悩み(仮に誰かに相談しても相談=解決に直結しないことも多い)、一人で考え、模索して、一人で苦悩し、一人でもだえ苦しみます。

全部ひとり。

でもこれって、思うけれど、人生にとっては大きなプラスになり財産になると思います。

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怖がっていたら何も出来ない。踏み出す勇気を!(自分応援)

もし・・・失敗したらどうしよう・・・。何か新しいことをやろうとしたりするときに、真っ先に考えるのは「失敗したら」「生活は?」「うまくいかなかったら」となってしまうと、一歩どころか半歩も踏み出せないです。

人生観は人それぞれだけれど、僕はこう思う。

ふとコンビニの買い物を終えて、道路を渡ろうとしたときに、自転車を前かがみになって乗るお爺さんが居ました。恐らく70前の方でしょうか。当然顔には皺が多く、過ぎていったその後ろ姿は背中は丸く、とても小さく見えました。

今、自分はその年齢ではないけれど、いずれ訪れる老いには誰も敵わないよなぁ・・・と、特にそのお爺さんとは縁もゆかりもないのですが、思ってしまったのです。

そしてお節介なことに、このお爺さんにも若く、溌剌として、青春を謳歌し、キラキラ輝いていたときがあったんだろうなとも。

この瞬間をしっかりと切り取っておきたいです。

僕はこう思ったからです。

「走り続けなきゃ」と。

勉強の悩み、恋の悩み、人間関係の悩み、何かがうまくいかない悩み、などなど、そんなものは全部小さい!

原始的ですが、生きていかなくてはいけないのですから、生きる力のほうが何倍も大切だということが、この年齢になってわかってきました。

しかし、これらの悩みは、一度は通るべき通過点なのでしょうね。確かに自分も小学校のときに悩んだこと、中学のときに・・・このように思い返せば、今なら笑い飛ばせるけれど、その瞬間は真剣に頭を抱えていたものです。これも通過点だったのだということです。

yahooの仕様がかわり、下にスクロールすると、たくさんの記事が、写真アイコンつきで、羅列されていますよね。

あれ、どうしても下まで見てしまうのですが、見るほどに、自分には関係ないものも多く含まれています。

どうでもいいようなニュースをカチッとクリックしてみてしまう自分にも気づきます。

でも、これを見たから何になるのか?ぐらいに急に冷めてしまう自分もいます。

これって情報収集の域ではなく、何気なしに軽く仕組まれたルーチンみたいになっています。人はルーチンワークが毎日続くと、その分、余計に時間を早く感じるそうです。

自分のとった行動の必要性がほぼないものに、時間を割いてしまうのは、余暇行動の一部として必要不可欠なのはわかっているのですが、それでも実のある時間、有意義な時間を一つでも増やしたいものです。

振り返って、結局小さい悩みだと気づくことが出来る可能性がある悩み、、、それらは自分が強くなることで早く解決できるんでしょうね。年齢を重ねるということはそういうことにもつながっているのでしょう。

そんなわけで、怖がらない!そういう生き方をしたいです。

こんな、、、コロナの襲来なんて誰が予測していたことか

突然ですよ、突然。

一年間マスクを着け続ける暮らしなんていうことも誰が予測していましたでしょうか。

予想外のことって、生きている中でいくらでも起こりうるということです。歴史は繰り返すとか、二度あることは三度あるとか、古くから言われているということは、これは今後もあるということです。

この間の大きな揺れを伴う地震だって、誰が予想していたことでしょう。

僕は19のときに正面衝突の事故を起こしています(どちらかというと自分が悪い)が、それも予想なんてしていなかったし、今でもあの光景を思い出しますが、突然の事態でした。

自分の身に降りかかる災難とか、いくら「かもしれない」と思っていても降りかかるときには降りかかるものです。

先日、おたふく風邪にかかりました。

全く身に覚えもないし、「え?どして」と全く予想外です。

こんなことの連続ではありませんか。

ですから、未来は誰にもわからないということです。

わからないんだから、ジッとしてるほうがマシなのか?

いやぁ~、僕は全然そう思わないです。

動き続けよう!となる性質ですね。正直、今、千葉に住んでいますが、引っ越しもしたい!(実は何の脈絡もなく)なんて思っちゃうこともあります。沖縄とか、九州とかですね。

いや、ほんと、何も考えてませんよ。実際引っ越しもしないでしょう。でもふと思ってしまうわけです。

こんな自由すぎる発想は、発想だけで終わりますが、心機一転という言葉があるように、何か自分に負荷をかけつつ、新しい予感が楽しみになるような事態を心のどこかで待ち望んでいるのかもしれません。

で、考えるのは仕事のことが多いね

仕事は楽しいです。

もし今、仕事を奪われたら、きっと一気に老いることでしょう。

仕事をもっと楽しくしたい!そんなことばかり考えていますよ。どんな仕事でも産みの苦しみ、途中経過の苦しみ、あると思うけれど、それでも何か立ち上げたい!

これはリスクと背中合わせであるけれど、どっちで心ふさいで考え込むよりも、あっかるい!未来を想像したい!

夢で描くのは、そうですね・・・

フロアがあって、そこにはスーツを着ている人など誰もいなくて、音楽がかかっていて、各自の机には好き勝手に色々なものが置かれていて、組織はフルフラット型で、仲間とワイワイやりながらの仕事進行!

これだよねぇ~

本当に夢に描く。

で、それを必ず実現しようと考えています。今年、踏み出す勇気がもてなければ、きっと後悔する。

だからやる。

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今日はトラブル続きでした。そんなこともあるさ!と気持ちのリセット図ります

今日は朝から対応しなくてはならないことが多かったです。仕事でのこの多忙な状態は嫌いではありませんが、ここにトラブルが被ってくると、心中穏やかではありません。

どうも不思議。何故メモをしないのか。

僕は例えば面接をするとき(僕が面接をする側)、最後に「何か質問とかわからない点はありますか」と聞くようにしています。

そこでほしいのは、「いえ、特にありません」という答えではなくて、質問をしてほしいのですね。

質問を相手に投げかけるということ=相手に興味があるという解釈です。

逆に質問がない=相手に興味がないという解釈に繋がります。

それとやっぱりメモ習慣がある人を信用・信頼する傾向が自分の中にあります。

メモってすごく重要だと思います。

面接のときもそう、何かの講義を聞くときもそう、実際に仕事をしていれば、毎日相当量のメモの必要性がある場面があります。

「ここ、メモすべきことなのに、なぜメモしないのかな」そう思ってしまい、仕方ないので、

「えっと、ここ重要ね。線引いて」と言わざるを得ないのです。

う~~ん。

たいていのトラブルは行き違いからもありますが、徹底した確認不足もあります。

今回のトラブルは僕自身の確認不足・・・というか、ガッチガチの念押し不足だと反省しています。

やってほしいこと、やってはいけないこと、というのは、1回、2回どころか、何度でも念押しが必要なんだなという反省です。

でも・・・いい仕事したいですよね。

仕事は人が携わるもの。

将来は、多くのロボットが人に代わる存在になることはわかっています。でも、少なくとも人間の心が必要な場面がありますので、人間不在にはならないと思います。

特にトラブル解決はそうですね。

トラブルの解決をロボットが出来るかというと、なかなか・・・

なので、今日は僕自身も原点回帰して、なぜこの問題が起こったのかと猛省しつつ、明日に活かしていこうと思います。

今日は、ちょっとまだ解決していないので、これにて!

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今日10月29日から4連休

おはようございます!10月29日 木曜日です。今日から4日間のお休みです。

休みだけど、休まないよ

最近は休みだ~とか喜ばなくなりました。夏のときのお盆休みが長すぎて長すぎて、こんな怠惰な生活してたら、きっとメタボどころか、多機能障害起こして、早々に死ぬに違いないと思ったぐらいです。

何か、休みがほしい~とか言ってる人、よくわかりません。

休みが、休みが、休みが、休みが・・・という人は、なぜそんなに休みがほしいのか、本当にわからないのです。

意味がないとは言わないです。

「仕事をするために休む、休むために仕事をする」というかつての上司の言葉を大事にしていますので、気持ちはよ~くわかります。でもこんだけ恵まれた状態で、週休2日だ~~とか、週休3日だ~~~と、なるべく働かないほうが美徳!!かっこいいという感覚にはどうしてもなれないということです。

有効求人倍率が0・9倍とかになったら、少しは違うのでしょうかね。

日本人は働きすぎ??

いやいや、そんなんないって(笑)

僕は過去、NYのウォール街のビジネスマンたちに会って話をしたことがあります。また、その仕事の現場を見学させてもらったこともあります。

ガッツリ働いてますよ。彼らは、ロングバケーションを勝ち取るために、日ごろ、鬼のように働いています。(全員じゃないだろうけど)

日本人は働きすぎという感覚がよくわかりません。働いてないと思います。前よりかなり楽になって、前よりモノ言えるようになって、前より休みも多くなって、前より勤務も楽になっているとしか思えないので、果たしてなぁ~~というところですね。

例のアレから、変になった

リモートワークとか、在宅ワークとか、それを提唱しないこと=悪みたいな風潮も一時ありましたが、それは企業の判断の自由だと思います。企業側からの指示を受けたくないのであれば、自分で起業するか、フリーになるかしかないですよね。

在宅では成り立たない仕事もあるだろうし、会社がリモートじゃなく、出勤させるのはそれなりに理由があるからだと思います。

なんか・・・会社が悪い、社会が悪い、政治が悪い、とそっちのせいにしているけれど、別に誰も悪くないっすよ。

たまたま例のアレが蔓延しちゃうんじゃねってことで、いろいろ知恵を出していった人たちがいて、それを受け入れる人、受け入れられない人、別にいたっていいではないかというところです。

何か考えていこうっと!

ということで、この休みは自分にとって少しでも有効な時間にしようと思います。

頭の中のひっかかりを取るために、リフレッシュもしていきますが、やはり完全に脳を止めることはせずに、

仕事のこと、ビジネスのことも考えていきます。

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在宅ワークって楽しい?ですか?

例の影響で在宅ワークが急増しました。感覚としては仕事とプライベートは、まるでスイッチのON/OFFみたいなものですので、僕にはきっと馴染まないです。でもずっと在宅がいいと考える人もいることでしょう。実際のところどうなの?

仕事をするために休む。休むために仕事をする。

この言葉は、僕がサラリーマン時代に尊敬する上司がよく言っていた言葉です。流してしまえば何てことない言葉なのですが、じっくり噛みしめて、どれどれ・・・と考えていくと非常に味わいのある言葉として今も残っています。

遠い昔、馬車馬の如く走り、仕事に明け暮れた時代のことです。

「仕事をするために休む」とは、

単なる仕事ではなく、「いい仕事をするために」という解釈をつけなくてはいけません。

フィジカルもメンタルも健康体じゃないと、いい仕事なんてなかなか出来ないのではないでしょうか。これは自らの体験、身をもっての経験の中から、軽く断言できます。

「休むために仕事をする」とは、

充実した休みを満喫するためには、自分の納得のいく仕事をしたうえでという前提が必要なんだという解釈です。

ただ仕事としての拘束時間を漫然と過ごして終わる時間を秒読みするようなことは心情的にもしたくありません。

そして仕事と言えるものは、「結果」ですので、結果があって初めて仕事という感覚を持ち続けたいです。

「経営は結果である」という言葉も何度も聞いてきた言葉で、銀行さんとの付き合いが開始されて以降、痛いほど身に沁みる言葉でもあります。

仕事=結果を出すための段取りとか、実行動だと思っておりますので、いくら思想を展開してもそれは自己マン(自己満足)の世界でしかなく、

うんうん、わかった。で?結果は?

これがビジネスの世界だと思います。

在宅ワークで結果を出せるってすごいけれど、僕にとって家(自分の部屋)はOFFの場所である

ON/OFFの切り替わる瞬間は、仕事からプライベートに移り変わるそのときです。さて!帰るか~となり、バイクに跨り家路につくときから初めてOFFとなります。

よって、道中、自らが納得仕事が出来た際は鼻歌交じりの帰宅になりますが、逆にBADな出来事があれば、頭の中をグルグル巡ってしまうぐらい気持ちがノレナイ状態での帰宅となります。

でもそんなBADな状態でも極力、家(部屋)の中には引きずりこみたくないという気持ちがあり、尚且つ、リビングにいる柴犬とか、部屋で待っているオカメインコやコザクラインコの姿を見て、急速にシャワーを浴びたかのように心が和めることが多いので、自然引きずらないようになっています。

それでもTOO BAD のことがあると、

コザクラインコのちーちゃんが首をかしげて、「どしたの?」と言ってきても、どことなく気もそぞろになってしまうこともあるのです。

それがもし・・・ずっと在宅勤務だったらと想像すると、

うん、僕には無理っすね。

やれないことはないけれど、気持ちの切り替えはとても大切だと考えているので、

自分には合わんです。

職場に向かう道中、職場から帰宅する道中にも意味があるんだと思う

さすがに通勤時間に数時間というのは、ちょっと無理無理なのだけれども、今は一番近い勤務場所まで6キロ、一番遠くて25キロなので、

バイク通勤時間は片道で、概ね20分から50分程度です。

バイクという風をまともに浴びる乗り物ゆえ、夏の熱風とか、冬の雪交じりの凍てつく風を頬に浴びる一年です。

大雨だろうが、やばいぐらいの強風だろうが、バイクです。

この10年の仕事の中で、バイクでの帰宅を断念したのは数年前の大雪のときだけで、多少路面が凍結していようといっちゃいますから、まさに悪天候であれ、なんであれ、自分は前に進むのだと妙に気合が入るんですよね。

電車通勤じゃないメリットが

とても多くあると思っていて、この生活が馴染んでいます。バイク通勤だからこそ、無心になれることもあるからいいのかもしれませんね。

電車だと向かいの座席の人たちを観察したり、窓の外に流れる風景を見て、なんらかの思いを馳せるということもあるかもしれませんが、それは混んでいないときだけでしょう。

混雑していれば、うわ、こりゃたまらんとなるわけですよ。

スッキリ状態で動けるのはやっぱりバイクかなぁ。

そんな僕も在宅ワーク期間があった。

まぁ、最初の事業で4000万ほどあっという間に失い、悲しみのどん底を経験し、そこから残り資金が少なくなったときに、これからどうしよう・・・と途方にくれつつ始めたのが在宅ワークでした。

うん、あんときは、家に050からの番号のインターネット電話も別個導入して、マジで在宅、在宅、在宅ワークでしたね。

だってお金を一気に失ってビクビクしながら怖がりながら、在宅ワークですよ。よくアレを乗り切ったなと自分で感心します。

あれがちょうど、2009年ぐらいかな。

会社を辞めたのが2008年9月、

このとき「もうサラリーマン、やんね」と心に決めてたので、2008年10月には会社登記しているんですよね。で、

最初の事業で4000万吹っ飛ばし!です。吹っ飛んだのはわずか数か月です。

このあたりは、今度もっと詳しく書いていきます。自分の恥ずかしい過去ではありますが、自分が奢らないように戒めのためにも。

最初の事業がものの数か月でおじゃんになりましたので、

恐ろしい展開でしたね。

そこから事業整理でまたお金がなくなり、精神的にもやばかったです。

ですから2009年が、在宅ワークで、家にこもり、なんだかわからない行動をしていた時期なのです。

しかし・・・

この在宅ワークから、面白い出会いがあって、ビジネスに発展しちゃったんですねぇ(笑)

ではまた今度ね。

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どんな心境であれ、動きを止めてはいけない、悩もうが何だろうが。

「底荷のない船はまっすぐ進まない」何かの格言で読んだものが脳裏に焼き付いています。「人間は誰でも悩みを抱えている。だからこそまっすぐに生きられるんだ」確かそんな解釈だったと記憶しています。

ペットたちは僕を待っている

どんなに落ち込んだ朝を迎えようと、どんなに悩みを抱えようと、ペットたちには罪はありません。僕を待っている・・・。

ちーちゃんが朝風呂からあがる僕を待っている
ちーちゃんが朝風呂からあがる僕を待っている

生き物を飼うと決心したその日からやっぱり責任があります。餌や水を毎日与えて、健康を気遣い、夏の準備、冬の準備をしっかりとやっていかないと、彼らは一人では勝手に生きられるものではないのですから。

画像はコザクラインコのちーちゃんが、風呂場の脱衣所のタオルかけのところで、僕を待っている様子です。

ふ~・・・

何ともイタイケではないですか。

人であれば、動物であれ、僕を頼りにしている存在があるということですよね。

待ってるんですから、どんなに疲れていても、どんなに悩みを抱えていても最大の愛情で応えてあげたいものです。

悩みを抱えながらでも前に進む

今僕は仕事でもプライベートでも悩みを抱えています。悩みがすっきりと消え去った日なんて、あるかな?

一つの悩み事が解決したら、また別の悩みの種が出てくるなんていうことをほぼ毎日繰り返しているので、all clear !状態になったことなんて、もう何十年もないような気がしています。

冒頭に書いたように、それでも悩みがあるからこそ人間なんだと思うと、少しは楽になります。

もう一つ、これはサラリーマン時代から苦しいときとか、悩んだときに、必ず心で唱えることがあります。

「僕には美しいものを見られる目があるじゃないか。

僕には、美味しいものを食べ、匂いを嗅げる口と鼻があるじゃないか。

僕は言葉を発することが出来て、感情を表現できる。

僕は2本の脚で地面を踏みしめて歩くことが出来る。

僕には愛する人を抱きしめる腕があり、2つの手がある。

世の中には、これらを先天的にまたは事故などで失ってしまった人たちがたくさんいるんだ。

その人たちと比べて僕のこんな悩みはちっぽけだし、その人たちと同等の苦労などはこれっぽっちもしていない。その人たちの苦労に比べたら、なんてことない。」

今度、心にドーンと突き刺さるような悩みがわいてしまったならば、是非、このように唱えてみてください。

生きていくということは、基本は自分が主体です。でもほんの少しだけ視野を広げて、そういう人たちの心境とか実際の境遇と自分を比較してみることで、自分はなんて小さいことで悩んでいるのだろう。と自分にハッパをかけることが出来ます。

悩んだとき、誰かに頭を撫でられて、よしよし・・・とされるよりも効果的かもしれません。

それでも、不安や心配、悩みで押しつぶされそうになったら

心の支えになってくれる人がいたら、打ち明けてみることもいいでしょう。

ボロボロになるまで、車の中とか、一人になれる場所で泣いてもいいです。

つまり、人間が抱える悩みは、他の誰かが同様の体験をしていた場合はアドバイスをくれるかもしれませんし、

同様な体験なくとも、悩みを全部吐露することで自分の気持ちが少し楽になったりします。

聞いた相手はもしかすると、完全解決のためのアドバイスはくれないかもしれません。

でも話し切ってしまうことで楽になることもあるんですよね。

泣くことで、なんとなく気持ちがすっきりするのと似た作用なのかもしれません。

もちろん、それだけでは全く足りず、時間を逆戻りするしか方法がないようなとても重いものについては、たった一日で自分の気持ちが立ち直ることは無理です。

数日、数週間、数か月、数年とかかるかもしれませんよね。

悩みは、時間が解決してくれるか、人が解決してくれるか、はたまたその両方かです。

逃げるのは簡単、でも逃げない。立ち向かおう!

これがメインテーマです。

悩みから目を背ける、見なかったことにする、なかったことにする、それらは全部逃げになってしまいます。

逃げるのは簡単だけれど、一晩寝ても、現実の世界が急に好転するわけではないのですから、一回は受け入れないといけないですよね。

これがなかなか大変なのですが、でも受け入れるんですよ。

まず一歩はここからじゃないでしょうか。

受け入れることが出来なければ解決の糸口が見えてこないから、自分本位の考えだけになってしまって、周りが見えなくなってしまうからです。

もし、受け入れることがまだできていなければ、まずはそこからスタートではないでしょうか。

受け入れることが出来たら、今度は上記の赤線のところを是非、無理やりでも心の中で唱えてみてほしいのです。

思いっきりそういう人たちのことを想像しつつです。

イメージ的には、自分の身体から、もう一人の自分が抜け出て、まるで鳥観図のように、上から自分自身を見つめてみてほしいのです。

そうすると、自分という存在が他の人と同様、第三者に見えてきます。

ここまで来たら、今度は本当に冷静になって、第三者的見地で自分自身を見つめなおしていく・・・・

うまく表現できていないですが、こんな感じです。

すると・・・

より冷静になれます。

より冷静になってくると、今度は自分自身がより見えてくるんですよね。

逃げようとしているその瞬間まで、自分自身を見つめてみてください。

それで解決できるの?

それが最善なの?

こんな風に問いかけてみるんです。

もしかすると、こういうことを本当の第三者が言ってくれるかもしれません。

なかなか他人を頼れないのでしたら、自分を第三者に置き換えるといいです。

よかったらzoomでお話しませんか

ヤバイ・・・心が元通りにならない

このままではどんどん負のスパイラルに追われてしまう

落ち込んで、心のざわつきが止まらない

悩みを誰に打ち明けたらいいのかわからない

毎日が苦しくて仕方ない

こんな方がいたら是非zoomでお話しましょう。

ご希望あらば、コンタクトからお問合せください。

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こんな未来ありそうですか

仮想世界の中でお金を稼げたらいいね

実際、けっこう前にSecond Lifeというゲームの中で、リアルマネーが稼げることが話題になり、中には億稼いだ人もいるとかで凄かったですよね。あんな風に、仮想世界の中でも生きられる、お金をリアルに稼げたらいいのにと思います。しかも普通に誰でも。

仮想世界でも質感を出せれば売れると思う

電子媒体からイメージをもつというのは、例えばコミックとか、小説とかはすでに電子版がかなり浸透していて、利用者も多くなっているじゃないですか。

あれって、電子書籍になって確かに紙の質感とか、本の重み、ページをめくる喜びみたいなものは犠牲にはなっていますが、大量の本をスマホ内に収めることが出来るとか、ペーパーレス=資源保護みたいな大義もあって、実際試してみると「けっこういいじゃん!」となる人が多くなってきたのではないでしょうか。

音楽CDや映画などのDVDにしても集める喜びも確かにありますが、サブスクをよしとするアーティストがだんだんを増えてきて、配信されるものをDLすることで、音楽や映画のコレクションをパソコンとか、モバイル端末に集めることが出来、しかもかさばらないので、これまた時代の流れとして認知が拡がっていますよね。

DVDを週末に2泊3日で借りてとか、コミックをまとめて10冊借りて、とか、以前はけっこう当たり前のように言ってたTSUTAYAにも行かなくなってしまいました。

そのかわり、amazon とかhulu とか、netflixが台頭してきて、パソコンと回線の処理能力と速度があがったため、今ではほぼストレスフリーで自宅にいながら映画や海外ドラマ、見逃したドラマなんかをみることができます。

しかも付加価値がついているのですよね。特にamazonは口コミなんかで、配送料も無料になるし、音楽も映画も「見放題」的な人々の口コミです。実際には、最新の音楽や映画はお金がかかる場合がほとんどなのですが、伝わるのは「無料だし、月500円だから、絶対得だよ!」ということでバンバン拡大しているんですよね。

こういうデジタル化されたデータであっても、その商品そのものが劣化するわけでもなく、すぐに自宅のパソコンとかで体感できるものは、全部ネットで!となってるのでしょう。

でももっと時代が進化したら、「参加してる感」とか「その場にいる感」なんてものが出てくることでしょう。

例えばサッカーの試合とか、アーティストの演奏とか、およそ自分では登れないエベレストの山頂とか、そんなものがまるでリアルに感じられるぐらいの高精度な映像とともに、感動が伝わるサービスがどんどん出てくるように思います。

実際、映画も本当は映画館で観たほうが迫力あるし、ポップコーンとコーラを買って、館内が暗くなって、映画の前のCMすらも楽しんでのほうが僕的には好きです。

でもこれさえも仮想世界で、「らしく」演出すれば、もっともっと面白くなるし、チケットを買うところから座席の予約までも、なんだか現場でやってるようにすれば、本当に自宅にいながらにして、よりリアルに近い映画館を味わえるようになると思います。

服とか眼鏡とか、メークとか、髪の毛カットとかも可能性あるよね

現実の世界で、服を買いに行く・・・眼鏡を買いにいく、ちょっと変わったメークをしてみる、床屋さんやパーマ屋さんで今までとは違うカットにトライしてみる・・なんていう欲求っていっぱいあると思うのです。

でも、実際現場に行ったらどうでしょうか。

リアルな現場で、たくさんの服があるところで、自分に合うデザインとか、自分の体形に合う服とか、そういうものを自己判断で探し出すのはちょっと面倒だったりします。

店員さんが寄ってくることを嫌う人も多いですよね(僕もそう)

本当は、もっと時間をかけて選びたいけれど、店の数、商品の数が多すぎて、選び疲れてしまうこともあるでしょう。

モールなんかに買い物に行くと、服の店、、、、どんだけあるの?あれって、入り口に比較的近い店が有利ですよね。それに、あまり遠いと歩くのも億劫になったりします。また、でかいモールだと地図が必要ですよ。じゃないと僕なんか方向音痴ですから無理っぽい。

我が家の近くにそういうモールありますけれど、もう10年以上住んでいますが、いまだにモール内で行ったことのないお店もあります。

なんか、買い手側も売り手側ももったいないですよね。

それに、服選びでけっこう面倒なのが、試着です。試着の目的は自分に合うかどうかだったりしますが、やはり一番はサイズでしょう。日本ではMサイズ、Lサイズとかですけど、これが海外商品だと40号とか、なんだかサイズ感もよくわかりません。

ですから試着ルームには、きっとこの号数なら大丈夫だけど、念のためこっちも・・・と持っていきますね。そうするとあの狭い空間の中で、自分の服を脱ぎ、試着して、次のアイテムを試着して、、とやってるわけですよ。

んなもん、正直面倒です。

試着が楽しいわ~なんて思わないので。

ですから仮想現実みたいな世界がありますと、自分を全方位カメラで撮影して、身長も体重もまるでリアルみたいな自分が画面の中にいれば、あとはテレポートとか、検索機能みたいので、それこそ、ガンガン試着できるようにして、

「お、これけっこういいね!」というのが見つかったら、今度はリアル店舗に予約するとか、そのまま買い物ができればと思うわけです。

眼鏡も現場に行って、自分でかけてみないと自分に合うか合わないかわらんね~という場合がほとんどですよね。

ずっと黒縁眼鏡をしていると、自分は黒縁しか合わないと勝手に思い込んでしまいますが、銀縁とか金縁も合うかもしれないし、形が違ったものもトライしてみたい。

でも僕みたいにかなり視力が悪いとですね。フレームを現場で探すにしても、売り物のフレームですから、それを顔にかけても鏡に思い切り寄らないと見えないわけですね(笑)

あのシステム、マジでなんとかならんかなと思います。

自分の顔の輪郭とか目や眉のつくりなどから、この眼鏡が合うぞっていうのは、これまた仮想世界で試せたらなぁと。

きっと未来はそうなるんだろうけれど、もっと楽しみながら!

今まで僕は、たくさんの人に会ってきましたが、中にはなかなか外に出られない人もいます。

自分をうまく表現できない人もいます。コミュニケーションがちょっと苦手という人もいます。

でも彼らのほとんどは、ネットとかすきな分野においては活き活きしています。

ネット内で生きてもいいじゃん!

生活の場とか稼ぎの場がネット内にあれば、別に家に閉じこもっていたとしてもその人の楽しみ方だし、生き方なのですからまったく問題ないですよ。

買い物はできる。でもほしいのは稼ぐ場。

ネットとかバーチャルな世界での買い物は絶対もっと発展するのですよ。

でも稼ぐ場がほしいですね。

資本主義社会ですので、誰でも平等に、、、、というのは難しいにしても今は「個の時代」と言われているのですから、もっともっと手軽に給料的なお金をとれるようになれたらと思います。

これって甘い考えかもしれないけれど、可能性はありますよね。

ネット内だけで会社が作れれば。

ネットやバーチャルな世界に会社をつくることができれば、一人で何もできそうにはない人にとっても面白くなると思います。

現実世界における会社だって、社長がとんでもない何でも屋気質で、なんでもできるスーパーマンというわけではありません。

逆に自分にはない能力を持った人を雇うことでカンパニーパワーをあげているのだと思います。

絶対、たくさん、可能性のある人たちが埋もれていますよ。どうでしょうか。

そういう人たちが仮想世界の中でつながってビジネスができるようになれば本当にいいのに、そう願います。